忍者ブログ
真善美 を強く求める 多くの善良な福山市民のために活動しませんか
カレンダー
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/21 大石高陸]
[07/17 名無しの権兵衛]
[01/12 Appeant]
[01/06 live football tv apk]
[09/30 buy dissertation]
最新TB
プロフィール
HN:
石岡 久彌
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
元防衛庁
外務省勤務
陸将補
バーコード
ブログ内検索
P R
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29.1.15 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「実りある福山市100人委員会を創るための提言」→②「委員を適材適所とし烏合の衆としない」→③「委員の勇気ある発言が必須」→④「見識・公正感・勇気溢れるコーディネーターの人選が必須」→⑥「見識・公正感・勇気溢れる市役所高官が必須ーー外部からの登用が必須」

 

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、こんにちは。我が福山市も雪がちらつき、また多少積もり、風情・ムードある雪景色を醸し出しております。さて今回のテーマは「実りある福山市100人委員会を創るための提言」というものであります。以下に本件テーマの背景、小生の考え方等を皆様に御紹介させて頂きますが、本件はある意味で全国各地共通のテーマと確信致します。皆様には引き続き貴重な御意見等を頂ければと考えます。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。

 

(3)本論(「実りある福山市100人委員会を創るための提言」)について

(ア)「全般」について 

   枝広市長が昨年8月、市長就任以来、力点をおかれているものの一つに本件「100人委員会」の設置・開催があります。100人委員会については目下、全国に類似のものが立ち上げられており何ら珍しいものではありませんが、我が福山市においては前・羽田市長の市民の声を聞こうとしなかった・逃げた唯我独尊体質・行政と比較すれば、新規な発想・具体と評価できます。他方で今後、枝広市長がどこまで①「本物」であるか、②「猫だまし」では無くてその本気度が試されます。すなわち、①市民の長年の・多大な不平・不満の単なる「ガス」抜き、②市民の声を聞いたというだけの単なる実績作り、或いは、③一部の利益団体等の意見拝聴で終始しないことが肝要であります。ここで我が市の100人委員会の概要を以下に公報「ふくやま」1月号から抜粋し紹介させて頂きますと、その設立趣旨は、

  「幅広い世代の皆さんやさまざまな分野で活躍する皆さんと一緒に福山の未来を考えるため、「(仮称)ふくやま未来づくり100人委員会」を立ち上げます。皆さんが考える「こんなまちになってほしい」「こんなことをすればもっと暮らしやすくなる」などの意見をもち寄り、「30年後のふくやまの未来図」を一緒に創りませんか。」というものであります。

 

(イ)「②委員を適材適所とし烏合の衆としない」について

   1/14付の中国新聞は「100人委員会 9日間で応募131人 若者や女性に呼び掛け」旨の見出しで記事を掲載しております。その要点は「福山市は13日、本件委員公募で応募数が9日間で131人と明らかにした。10、20代の若い世代や女性が少ないとして、応募を呼び掛ける」というものでありました。さて重要なことは最終的に人選されるであろう本件100人が「適材適所(適任の市民が適任のテーマに割り当てられる)」となり、もって「烏合の衆」とならない点にあると確信致します。すなわち、「3人寄れば文殊の知恵」という諺が語る如く、周知を集めることには本来、大賛成でありますが、問題点はそれらの知恵が大局的・本質的なもの、換言致しますと正論を適切に捉えたものと成り得るのかどうかという点であります。世の中、多くの価値判断基準が存在すると思われますが、私の最も重視する本件基準の一つが「軽重先後」であります。極簡単に説明を加えますと、物事を考え判断する際に、①何が「軽くて」、何が「重たい」のか、②「何が「先」で、何が「後」で良いのか、旨の判断基準が必須であるというものであります。その理由は、①目的・目標の必達、②状況の特質の存在ーー人・物・金・時間等の制限・限界等が存するからであります。この観点から話を元に返して上記の100人の人選に際しては大局的・本質的な考え方・視点を有し、且つ、判断できる人材を選んで欲しいと提言する次第であります。「そんなに七面倒くさいことを言うな(参加することに意味がある)」との声も聞こえて来そうですが、①我が福山の政治・行政は「腐り・狂って」「日本一最低」である(同和行政、最低の選挙投票率、安心・安全ボケ、教育の劣悪、癒着行政の塊等)こと、②効率的・効果的な本件委員会の開催等に鑑みて適材適所が極めて重要と考えます。最後に人選に当たっては、改革の要であります「よそ者、若者、変わり者」をくれぐれもお忘れなきことを枝広市長に提言致します。

 

(ウ)「委員の勇気ある発言が必須」について

    本件委員には勇気ある発言を期待・提言致します。とりわけ、同和政治により、圧倒的多数の市民が今でも相も変わらず「同和が怖い」として三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)状態にあることは極めて異常であり、そこで「同和政治の撤廃(ポイ捨て)」を是非とも勇気を出して発言して欲しい(本当は勇気なんか不要。何故なら今では同和は少しも怖くないから自由に、大きな声で、堂々と発言できる筈)

 

(エ)「見識・公正感・勇気溢れるコーディネーターの人選が必須」について

    紙面の都合上簡潔に申し上げますが、行政に抱き込まれていない(公正感・勇気溢れる)コーディネーターが必要不可欠であります。

 

(オ)「見識・公正感・勇気溢れる市役所高官が必須ーー外部からの登用が必須」について

紙面の都合上簡潔に申し上げますが、この100人委員会を真に効果的なものとするためには、委員会運営に責任・権限を有する市役所担当官に、見識・公正感・勇気溢れる高官(副市長、局長等)が必須であり、これがためには外部からの登用が必要不可欠であります。今いる市役所内部の誰も適任では決してありません。

 

(4)あとがき

 枝広市長にとっては市長執務期間が半年を経過し、リップサービス・試運転のシーズンは終わりました。枝広市長は今後は「腹を決めて」福山改革に邁進して欲しい。これが為に同市長がやるべき「軽重先後」の典型的なものが「同和政治の撤廃」であります。圧倒的多数の市民の「同和が怖い」という意見を早期に汲み入れこれを撤廃しない限り、市長として市民の信頼は得られないものと確信します。枝広市長には上記100人委員会においても「同和政治の撤廃」に関する委員のサイレントな意見を是非とも聞いて、市民の心がいずこにあるかを洞察・明察して欲しい。

 

(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)

 

 

 

拍手[1回]

PR

「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29.1.8 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「高齢者の定義を75歳以上に引き上げ」→②「生涯現役時代の到来」→③「我が福山市議会議員にも高齢者大歓迎」→④「高齢者の豊富な知見・経験・情熱が福山を変える」→⑤「私・石岡久彌は5期・90歳過ぎまで市議を務めます」

 

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、おはようございます。今回のテーマは「我が福山市議会議員にも高齢者大歓迎」というものであります。以下に本件テーマの背景、小生の考え方等を皆様に御紹介させて頂きますが、本件はある意味で全国各地共通のテーマと確信致します。皆様には引き続き貴重な御意見等を頂ければと考えます。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。

 

(3)本論(我が福山市議会議員にも高齢者大歓迎)

(ア)①「高齢者の定義を75歳以上に引き上げ→②「生涯現役時代の到  来」について 

   1/6付の中国新聞は、「高齢者75歳以上に」の見出しで記事を掲載しておりますところ、その要点は次の通りであります。すなわち、「高齢問題の研究者らでつくる日本老年学会などは5日、高齢者の定義を従来の65歳以上から10歳引き上げ、75歳以上とすべきだとの提言をした。かっての高齢者と比べ健康状態が改善し「生涯現役」が時代の流れとなっている。少子高齢化が進み労働人口が減少している日本では、元気な高齢者の活用に動きだす企業もあり、社会の担い手としての期待が高まっている。」旨を報じております。

 

(イ)③「我が福山市議会議員にも高齢者大歓迎」について

    現在の福山市議会は議員数40名で平均年齢は60歳位であります。決して若いだけでもなく老齢であるわけでもありませんが、問題は発想・言動が「貧困で」、「非活性化」し、「マンネリ化」し、「保身」追及だらけとなっていることであります。すなわち昨今の小生FB記事において御披露致しました通り、市議会、市議として全市民目線で全市民のための行政改革を真剣に考えて発想・行動する議員は皆無に近く、逆に彼らは自己の「保身」しか考えておりません。これで本来の市議会議員活動(出身母体の利益代表では無くて、福山「トータル」改革の立場での、①行政の監視、②行政への政策提言が必須)が出来る訳が無く、その結果、福山行政がまともになれる訳がありません。では何故なのかを考えてみますと、その理由は大半の議員が、①土着であり(学生生活等で若い頃は福山を離れた時代があったにせよ)、地元福山で、且つ、「しがら」の中で永らく生きてきたが故に、発想が「ガンジガラメ」となっているから、②過去の人生において職場・仕事・地域等で「死ぬほど真剣に考え生きてきた」経験が少ない・ないから、③サラリーマン化して議員給与に「しがみついている」から等にあると思います。そこで「我が福山市議会議員にも高齢者大歓迎」と考える次第であります。

 

(ウ)④「高齢者の豊富な知見・経験・情熱が福山を変える」」について

 高齢者(ここでは従来の65歳以上として捉えます)の中にも各種の方が存在し一概には言えませんが、それでも死ぬほど真剣に経営・各種業務を考え・従事されてきた高齢者が我が福山に数限りなく存在しておられることと思われます。しかしながらそれらの大半の方は「もったいない」「お宝をドブに捨てられた」如く現役を離れておられる現状でありましょう。他方で「一芸は多芸に通じる」旨の格言を胸に秘め、それら高齢者には市議会議員に積極的に立候補・当選して欲しいと強く念願する次第であります。その理由は上記の通り、現職の市議達が「保身」に走り役に立っていないからであります。私は「高齢者の豊かな知見・経験・情熱が福山を変える」旨信じて疑いません。ここで去る1/1付の小生FB記事「ウルマンの感動的な詩「青春とは」」の要点を再度紹介させて頂きますと、「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである」と。

 

(エ)⑤「私・石岡久彌は5期・90歳過ぎまで市議を務めます」について

    私は健康に留意しながら、他方で連日、街頭演説等で自転車を乗り回しながら、より大事なことは議会で福山改革の重要性・必要性という正論を声高らかに弁じながら、5期・90歳過ぎまで市議を務めて参りたいと思料致しておりますので皆様には引き続き宜しくお願い致します。

 

(4)あとがき

昔から世の中を変える人は、①よそ者、②変わり者、③若者と言われて

来ました。私は先般72歳を迎え、外見上は若者とは言えませんが、①  Uターン組であるところから、ある意味では「よそ者」であるかも知れませんし、②変わり者であるのかも知れません。私は昨年末の年末御挨拶を始め、本年は年初めから連日、新年御挨拶として、福山駅前を皮切りに主要交差点、住宅街等で街頭演説を繰り返しております。このような演説をしているのは我が市議会40名の議員中、私一人であります。私は高齢者議員として(本人は高齢者であるとの認識は全く無く、連日、柔道着をまとい、胸に「必勝」と赤字で刺繍し、「福山維新の会」の「ノボリ」を棚引かせながら50km近くのUP・DOWNを克服しながら自転車を乗り回しており、多くの市民から手振り、声援を頂いております)今後とも精励したいと考えております。どうか御声援の程を宜しくお願い致します。

 

(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)

 

 

 

 

 

拍手[1回]

「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29.1.3 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「枝広・福山新市長は果たしてどこまで信頼・信用できるか?」→②「枝広市長が信頼・信用出来る・出来ないの両論が渦巻く市民の意見」→③「枝広市長が信頼・信用できないの根本・最大理由は「乗合い」選挙体制にある」→④「福山市民には冷静な・客観的な判断及び市長への提言が必須であります」

 

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、おはようございます。今回のテーマは「枝広・福山新市長は果たしてどこまで信頼・信用できるか?」というものであります。以下に本件テーマの背景、小生の考え方等を皆様に御紹介させて頂きますが、本件はある意味で全国各地共通の課題と確信致します。皆様には引き続き貴重な御意見等を頂ければと考えます。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。

 

(3)本論(枝広・福山新市長は果たしてどこまで信頼・信用できるか?)

(ア)「全般」について 

   昨今、私は多くの市民から度々「枝広市長はどうですか?(信頼・信用できますか?どこまでやってくれるでしょうか?)」旨を質問されます。それに対する私の答えは「枝広市長の行政姿勢は全般として前向き・積極的であり一定の評価が出来ますが、さはさりながら本物度・本気度は次年度の予算・事業計画(H29.3成立予定)審議を経過・観察しないと何とも言えません」というものでありました。その最大の理由は同市長の当選時の選挙体制に重大な課題・欠陥を抱えているからであります。ちなみに枝広市長は昨年8月、羽田・前市長の後継者として対抗馬に約1万票の差で、どうにか市長に選出されました。同市長は一橋大学卒、その後、財務省で近畿財務局長等の要職を歴任されたエリートで今般、福山市長に当選されました。しかしながら問題は枝広市長が「乗合い」選挙として自民党、公明党、民進党、連合広島のみならず、羽田・前市長、福山市職労、解放同盟出身市議2名を含む福山市議会議員35名(総員40名の議員中、枝広氏を支持しなかったのは私と日本共産党4名の計5名のみ)等から「all与党」的な支持を受けた点であります。

  

(イ)「枝広市長が信頼・信用出来る・出来ないの両論が渦巻く市民の意見」について

    枝広市長が信頼・信用できるとして同市長を支持・期待する市民の理由は、羽田・前市長と異なり同市長が、①「車座トーク」や「100人委員会」等により積極的に市民の声を聞こうとしており、他方で②「現場主義」「スピード感」等を市職員に要求し、更に③重要施策としての「5つの挑戦」を掲げる中、「福山駅前開発(行政が音頭を取ることにシフト)」「福山城建て替え」「国・県との連携強化」等を推進しようとしているからであります。他方で同市長を信頼・信用できないとする理由は、①所詮、官僚出身で実行力に欠けるから、②乗合い選挙で選出されたから、③羽田・前市長の踏襲・後継等だからであります。

 

(ウ)「枝広市長が信頼・信用できない根本・最大理由は「乗合い」選挙体制にある」について

    私が考える「枝広市長が信頼・信用できない」とする最大の理由は「乗合い」選挙体制にあります。羽田・前市長同様の「All与党」体制で一体何の改革ができようかと懐疑心が一杯であります。「All与党」体制で改革が出来るのであれば羽田・前市長は在任間、多くの改革が出来た筈であります。羽田市長の評判は今でも極めて悪く最悪であります。それにも拘わらず枝広市長は羽田・前市長の後継者として行政路線を踏襲しました。枝広市長は何のためにエリートの道を歩み、他方で豊富な行政経験を積んで来られたのか理解に苦しみます。枝広市長は只単に自分が市長に成りたかっただけではないのかと疑いたくなります。では本題に返り枝広市長の「乗合い」選挙体制の何が問題なのかについて以下に述べさせて頂きます。ここで重要なポイントは枝広市長が「対立からは何も生まれない」旨公言されて来た点であります。古今東西を問わず、「圧力(対立)と対話」は外交・安全保障面のみならず、あらゆる面で改革のためには常識・必須の戦略と考えられます。世の中、美しい言葉だけで改革・物事の成就が成立するでしょうか?具体的には本「乗合い」のために、①同和政治・行政の撤廃(ポイ捨て)」が出来ませんし、②予算面では人件費の削減(市職員の定数・給与の削減による、とりわけ現業職員の外部委託化による)による重大事業への投資的経費の捻出が出来ず、市債の増加に繋がりますし、③重要人事の抜本的な刷新が出来ません。ここで若干付言致しますと、②の投資的経費につては、総合体育館が134億円、その他として福山城建て替え、交流館新設、老朽公共施設整備、耐震化等に多額の出費が見積もられておりますし、③の人事の抜本的刷新では市職労の同意(こんなバカな話があって良いのだろうか)不要の刷新が必須であります。

 

 (エ)「福山市民には冷静な・客観的な判断及び市長への提言(車座トーク及び100人委員会等において)が必須であります」について

    紙面の都合上、記述を省略させて頂きます。

(4)あとがき

「乗合い」選挙体制での最大の課題は解放同盟による抵抗により同和政治・行政の撤廃(ポイ捨て)」が出来ない点にあります。本件同和政治・行政は我が福山の「癌・癌細胞」であり、この撤廃による「言論の自由の奪回」は急務であります。福山市民の大半は今でも「同和が怖い、同和が怖い」(現在では同和は全く怖くないにも係らず)として三猿(見猿、言わ猿、聞か猿)となっております。我が福山の「暗くて・元気が無くて・鬱陶しい」現状を打破してもって「明るく元気な街・福山」を取り戻すためにはこの同和政治・行政の撤廃は必要不可欠であります。本撤廃が出来れば市民の「心」は晴れ晴れとして快活になり、選挙の投票率向上も間違いないものと確信致します。

 

(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)

 

拍手[1回]

「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29.1.1 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「新年御挨拶」→②「本年も「青春」を追い求めたい   

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、明けましておめでとうございます。輝かしい新年を迎え、本朝は早速、仲間と共に近くの山に登り「御来光」を参拝し、もって清々しい・新鮮な気分にならさせて頂いております。皆様には本年も「福山維新の会」並びに「石岡久彌」を宜しくお願い申し上げます。今回のテーマは「本年も「青春」を追い求めたい」というものであります。

 

(2)本論(本年も「青春」を追い求めたい)

(ア)「かの有名なウルマンの感度的な詩「青春とは」」について

     以下にウルマンの詩全文を紹介させて頂きます。    

「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。若くあるため

には、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。そのような人は神のあわれみを乞うしかない。」

 

(イ)小生コメント

yahooを検索してみますと、「サムエル・ウルマンによって書かれた不朽の名詩「青春の詩」は、戦後の日本人に勇気と希望を与え、高度経済成長の原動力の一つにもなったと言われています。詩の内容からして産業界のトップリーダーを始め、中高年層に愛好者が多かったようですが、「千の風になって」で話題になった作家・作曲家新井満氏の新訳の影響でしょうか、最近は若い世代の愛好者も増えてきているとのことです。」とあります。私も本件ウルマンの詩を再読して新たな感動をおぼえるとともに我が「福山維新の会」及び石岡久彌として新たな決意を胸に秘めている次第であります。その決意とは昨年12月30日付の小生FB記事で述べました、①「来年の抱負:行政及び市議会の体質改革・改善と活性化に尽力します」→②「敵は万人ともいえども我行かん」というものであります。

              

                          (以上です) 

 

拍手[0回]

「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。28.12.30 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「本年の回顧と来年の抱負」→②「本年の回顧:「ブ      

レ」ずに、恐れずに、公約等に基づき所期の活動が出来ました」→③「来年の抱負:行政及び市議会の体質改革・改善と活性化に尽力します」→④「敵は万人ともいえども我行かん

 

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、今晩は。今回のテーマは「本年の回顧   

と来年の抱負」というものであります。紙面に限界がありますが、以下にその要点を御披露させて頂きます。ところで本年は皆様から多大な御支援・御声援・コメント等を沢山頂き有難うございました。お蔭をもちまして①福山維新の会並びに②石岡久彌は所期の成果を挙げることが出来、ここに深謝申し上げます。来年もまた何卒、宜しくお願い致します。最後に皆様方が御家族共々輝かしい新年をお迎えになられますことを衷心より祈念致しております。

 

(3)本論(本年の回顧と来年の抱負)

(ア)「「本年の回顧」について:「ブレ」ずに、恐れずに、公約等に基づき所期の活動が出来ました」   

   まず4月の市議会議員選挙におきまして念願の当選を果たすことが出

来、皆様方に再度深謝申し上げます。次に当選後も決して「ブレ」ることなく、恐れることなく、市議として果敢に公約(同和政治の撤廃(ポイ捨て))の実現等の福山改革に努めて参りました。具体的には、(a)市議会において、①同和政治の撤廃、②中学生の学力向上、③投票率の向上、④市民の言論の自由の奪回等を巡り激しく真剣な質疑・応答を重ね、(b)①街頭演説、②FB、③「チラシ」、④看板設置等を通じて、行政及び市議会の体質改革等を厳しく訴えて参りました。このうち、上記(a)市議会での公約(同和政治の撤廃(ポイ捨て))実現等福山改革に関する質疑・応答につきましては、紙面の都合上、過去の小生FB記事との重複を避けて記述を省略させて頂き、(b)の①街頭演説、②FB、③「チラシ」、④看板設置につきまして、以下に昨今の特徴等を紹介させて頂きます。まず、①街頭演説ですが、「同和政治の「ポイ捨て」」と大きな文字で印刷した「ノボリ」を手に掲げて、「市民の皆さん、本日のテーマは「同和、同和、同和政治をポイ捨て、ポイ捨て、ポイ捨てしませんか!!というものであります」旨連呼して力強い演説(福山駅前を皮切りに主要な交差点等約50ケ所で)を実施して来ました。次に②「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBにつきましては皆様先刻御承知の通りであります。③「チラシ」につきましては、9月市議会定例会の活動報告(本年10月26日付の小生FB記事御参照)内容「チラシ」を「10万」枚、業者委託及び小生自らによるポスティングにより福山一円で手渡し・投函致して来ました。最後に④看板設置でありますが、最大許可枚数「12」枚の看板を、主として一等地(国道2号線・182号線・313号線)及び小生の基盤地域に設置完了致しました。

 

(イ)「「来年の抱負」について:行政及び市議会の体質改革・改善と活性化

に尽力します」

    来年度は行政及び市議会が共に「解放同盟」を恐れず、他方で「市民のための」政治・行政を行うよう、私は彼らに体質改革・改善を強く求めたいと考えております。そのポイントは、①解放同盟は今では全く怖くない存在であると再認識させ、また、②行政と市議会とが「馴れ合い」「癒着」を排し、③「保身」から脱却することにあり、その結果として真に「活性化」した両輪に回帰させることであろうと確信致します。

 

(4)あとがき

皆様が先刻御承知の通りで御座いますが、吉田松陰の残した有名な言葉 に「ーーー一千万人いえども我行かん」というものがあります。その意味は「自分で自分の言動を顧みて、正しいと思うのならば、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うする」という素晴らしく崇高な語録であります。私ごときはとても吉田先生の足元にも及びませんが、それでも同先生の爪の垢でも飲めればとの思いで、本語録を座右の銘とさせて頂いております。本年もまたこの語録を胸に秘め前に向かい進む所存でありますので全国の読者の皆様には引き続き宜しくお願い申し上げます。最後に重ねて皆様方には御家族共々輝かしい新年をお迎えになられますことを衷心より祈念致しております。

 

(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)

 

 

拍手[2回]

Copyright © 2008 福山維新の会 All rights reserved.
忍者ブログ [PR]
Template by SOLID DAYS