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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
令和元年。7。11。
 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1) 本日のテーマ:①「続編(その2):6/27の市議会定例会時のQ&A(石岡久彌)を振り返ってみます」→②「テーマの二つ目は「同和行政一般施策の撤廃」問題についてでありました」→③「私はこのテーマにおいて「市長、市民の嫌がる・忌み嫌う同和行政一般施策を速やかに撤廃すべきではありませんか?」として質問をしました」→④「これに対して市長は「同和行政は2005年度(平成17年度)をもって終了しております」と、相変わらずの誤魔化し(大ウソ)答弁をしました」→⑤「たまりかねた私は市長答弁の最中、「未だ、そんなことを言っているのですか」とヤジを飛ばしました」→⑥「その理由は我が市の同和行政は「特別施策」が2005年度(平成17年度)に終了しているのであって、「一般施策」は現在も続いており、もって「差別をするな、差別をするな」と市民を苦しみ・悩まし続けている現状にあるから」

...

(2) まえがき
本日は去る6/27市議会定例会時のQ&A(石岡久彌による)を振り返り、その第3段(御参考:①第1段は「枝広市長は案の定、「大ウソ」付きだった」、②第2段は「枝広市長は口先で本質追求を謳(うた)うだけで実行力・本気度が皆無」)として上記の「同和行政一般施策の撤廃」問題を取り上げ、枝広市長の相変わらずの誤魔化し(大ウソ)振りを全国の読者の皆さんに御紹介させて頂きます。

(3) 「同和行政一般施策の撤廃」問題を巡るQ&A(要点)について
私は本件について枝広市長に「市長、本質追及のためには市民目線の行政に立ち返るべきであり、とりわけ市民の嫌がる・忌み嫌う行政の撤廃等を速やかに行うべきではありませんか?」「具体的には同和行政一般施策(すなわち、差別をするな旨の①看板、②広報紙、③市民憲章、④住民学習会等)の撤廃を速やかに行うべきではありませんか?」旨の質問をしました。その理由は市長の説く行政の本質、すなわち、行政に課せられた使命は「活力と魅力に満ちた輝く都市の実現」等にあり、この実行・実現のためには市民の協力・市民との密接な協働が必須であり、市民の行政に対する信頼・協力が必要不可欠であるからと述べました。これに対する市長の答弁は「本市における同和行政は2005年度(平成17年度)をもって終了しております。以降は同和問題を解決すべき人権問題の一つとして位置付け、一般対策のなかで取り組んでいるところであります」というものであり、相変わらずの誤魔化し(大ウソ)答弁でありました。

(4) 石岡久彌のコメント
(ア)上記の答弁は約2年前の9月市議会定例会時と同様であり、そこで私は前述の通り「未だ、そんなことを言っているのですか(約2年前の定例会でその文章・表現は誤魔化しであって正確ではなく、その文章であれば市民は同和政治「全て」がもうとっくに終わっているのだと誤解するから、私は根拠をベースに何回も修正すべきだと主張しているため)」旨のヤジを飛ばした次第であります。本当に市長以下理事者は頑固で、他方で幼稚・非常識で、全く情け無い限りでありました。その理由は日本語(英語を含んだ外国語も同様ですが)の文章は1H5Wで正確に漏れなく書くべきという大原則が理解できず、実行しようとしないからであります。具体的には同和行政「特別施策」は2005年度(平成17年度)に終了しており、他方でその後現在までは一般施策を行なっていると書くべきであります。その良い例・証拠として平成22年3月定例会における日本共産党の土屋議員(現職)の質問に対して当時の羽田市長が次のように答弁されているからであります。すなわち羽田市長は「本市の同和行政につきましては、2005年度(平成17年度)をもって「特別施策」を廃止し、2006年度(平成18年度)から一般施策として、福山市人権施策基本方針に基づき、解決すべき人権問題の一つとして位置づけ、取り組んでいる」旨を述べております。ちなみに自衛隊では「一点の疑義も無い」文書作成を厳しく求められており(企業でも同様でありましょう)、これに鑑みた際、我が行政の本件文書は恥ずかしく、情け無い次第であります。
(イ)次に私が不思議でならないのは、何故、行政は私が上記の通り主張し・提言するように「同和行政「特別施策」は2005年度(平成17年度)に終了しており、その後現在までは一般施策を行なっている」と書かないのだろうかという点であります。結論から申しますと、その理由は市長以下行政が私の度重なる「同和行政一般施策の撤廃」要求・提言に幕を引き(部落開放同盟が既得権益を維持する上で石岡久彌が目の上のタンコブとなり邪魔で・うるさくて仕方が無く、行政に強い圧力を掛けているため)、市民を騙して市民の目を同和問題からそらさせる(同和問題は解決したのだとして)ためであろうと考えます。更なる理由は行政も同和に関する既得権益維持のために同和問題を表から消したい(同和問題は解決したのだとして)からでありましょう。これらの点については私は来る9月の市議会定例会において「何故、今の行政は羽田市長時代のように素直に、分かり易く、正確に、疑義が生じないように答弁されないのでか?」「何の不都合があるのですか?」「市民を無視・軽視して宜しいのでしょうか?」旨を質す所存であります。(以上です)

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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
令和元年。7。9。
 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1) 本日のテーマ:①「去る6/27の石岡久彌による市議会定例会時のQ&Aを振り返ってみます」→②「その時のテーマの一つ目は「本質追求」の重要性についてでありました」→③「私はこのテーマにおいて「市長、「具体的に」本質追及の重要性を説くべきではありませんか?」として質問をし,更に「説くべき」と提言しました」→④「これに対して市長は「「ことある毎」に説くことが管理者の務め」と誤魔化し・逃げ腰の答弁をしました」→⑤「たまりかねた私は市長答弁の最中、「実現・実行が重要」とヤジを飛ばしました」→⑥「市長答弁中のヤジは枝広政権では前代未聞の出来事でありましたが、それ位、市長答弁が「話にならない」ほど、情け無い・リーダーシップに欠けた、つまらないものでありました」

...

(2) まえがき
私は先日7/4,「枝広市長は案の定、「大ウソ」付きだった」」とのテーマで,去る6/27市議会定例会時のQ&A(石岡久彌による)を振り返ってみたところですが、本日はその第2段として上記の「本質追求」問題・テーマを取り上げ、結果として枝広市長が如何に「話にならない」ほど、情け無い、リーダーシップに欠けた、つまらない人物であるかを全国の読者の皆さんに御紹介させて頂きます。なお、同市長は一ツ橋大学卒、財務省出身の超エリートで、約3年前、故郷の我が福山市長として当選、就任し、私としても同市長の見識・経験、能力のみならずリーダーシップも多大に期待して来たところですが、最近ではスッカリ、期待はずれ、「ぼろ」が露出し、とりわけその人間性(①市民を無視・軽視した自己利益中心主義及び②大ウソ・誤魔化し・逃げ腰発言)にガッカリ・失望している(所詮、官僚出身かと)次第であります。

(3) 本質追求テーマを巡るQ&A(要点)について
繰り返しとなりますが、私は枝広市長に「市長、具体的に本質追及の重要性を説くべきではありませんか?」として質問をし,更に「昨今このような本質を見失った事例が見られ、そこでこのように発想・行動すべきと説得力・熱意を大にして説くべきである」と提言しました。その理由は私が過去3年間において枝広行政の本質追求が欠けた事例・事案(前例主義、言い訳ばかり,検討中、という事例等)を数多く見聞きし、他方で枝広市長も同様に見聞きしたからこそ本件本質追求要望をされたものと考えたからであります。然るに私の質問・提言に対する市長答弁は「「ことある毎に説くことが管理者の務め」という「木で鼻を括った(くくった)」ような、「隔靴掻痒(かっかそうよう)」なもの」であり、「入魂(本気度)」を全く感じさせませんでした。全国の皆さん、市長の本件答弁を聞かれてどのように感じ・思われましたか?成果(本質)をトコトン追求せずに、口先だけで「ことある毎に説く」として仕事をしている「振りをする」・パフォーマンスは官僚特有のやり方・体質だと思われませんか?こんな考え方・仕事振りが民間で通用するのでしょうか?大なる疑問を禁じ得ません。そこで思わず、「たまりかねた」私は市長答弁の最中、「実現・実行が重要(口先だけ、ペラペラしゃべって何の意味があるのか?)」とヤジを飛ばした」次第であります。同市長は副市長以下の職員が反発するのを恐れて、具体的・積極的にものを言い切らない誠に「腰抜け」の人物だと確信致します。他方で市長と理事者とは「脛(すね)に傷をもって、その傷を舐め(なめ)合う間柄」との感を強くしている昨今であります。

(4)議員達の反応について
上記「市長答弁中のヤジは枝広政権では前代未聞の出来事」と述べましたように、議員達は日頃、市長に「Yes,sir」となり、「行政の番犬」となって、反論も批判も何もしません・出来ません。私が考えますに、彼ら議員達はそもそも発想が低く、志が低く、能力が低くて、その結果、疑問も反論も生じず、それを口にすることが出来ず・無いのだと思います。まことにつまらない、税金泥棒の連中だとガッカリです。(以上です)

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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
令和元年。7。6。
 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1) 本日のテーマ:①「某議員の質問に対して枝広市長は部落差別「解消」について「条例制定」を考えていると市議会で答弁した」→②「これは常軌を逸した新たな事態の発生であります」→③「同市長は部落開放同盟及び市職労を極端に恐れ、他方で乗り合い体制推進(来年の市長選必勝)のために、間違いなく本件条例制定を睨んで(にらんで)おり、断じて市民目線ではない」→④「本件条例制定の何が問題かと申せば、それは一般市民の「言論の自由」を更に奪うこと(逆差別の増大)に繋がり、もって「寝た子(市民)を起こす」ことになる点」→⑤「条例制定は「寝た子(市民)を起こし」、ネット上での書き込み、チラシ配布、落書き等の差別事案をアベコベに増大させるだけ」→⑥「枝広市長は何故、こんな市民の感情を「逆なで」する反市民的施策が間違っていることが分からないのだろうか?」

...

(2) まえがき
去る6/27付の山陽新聞は「部落差別解消条例制定へ」旨の見出しで記事を掲載しておりますところ、その要点は下記の通り。

(3) 本論(同新聞報道内容)について
(ア) 枝広市長は6/26、福山市議会での議員質問に対して、インターネット上での誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)等などを踏まえ、「部落差別解消に向けた市条例の必要性を検討していきたい」と答弁し条例化を進める考えを示した。同様の条例は県内では初の試みで、関係者によると制定は2020年春の見込みと言う。
(イ)池上文夫氏(市民連合)(石岡注・部落開放同盟出身)が人権施策推進について市の姿勢をただした。枝広市長と小葉竹市民局長らは市内で部落差別につながるチラシ配布や落書きが増加している状況を挙げ、「国により部落差別解消推進法が16年12月に施行されたが、今なお部落差別は存在する」と説明。同法で地方公共団体は地域の実情に応じた施策を講じるよう定められているとした。

(4) 石岡久彌の迅速な対応
 枝広市長等による上記答弁を承知した私は「狂ったような」本件条例制定は黙認・放置できないとして、去る6/27の私の30分しかない質問時間の中で(一問一答において)最小限でもコメントすべきと判断決断し、早速、実行に移しました。私がそこで声を大にして堂々と述べた内容は、①寝た子(市民)を起こすな、②条例制定は市民目線では無い(市民は大反対である)、③部落差別で「結婚が困難」と言っているが、そうであるならば、自衛隊に入隊して北海道へ赴任し勤務をすれば、北海道では同和問題がないため結婚が容易(私の2回に亘る北海道勤務からの知見による)。なお自衛隊には同和出身者が数多く勤務しているが差別なんか全く無いというものでありました。

(5)石岡久彌のコメント
枝広市長は上記の通り、自己利益中心主義であり(市民を対象とした「利他」を考えておらず)、市長として全く失格であると断言致します。市長として「市民の嘆く心」に耳を傾けず、市民目線を無視・軽視すれば、その結末は自ずと「the end」(全てお仕舞い)であると確信します。(以上です)

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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
令和元年。7。5。
 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1) 本日のテーマ:①「石岡久彌による市議会棟直近での街頭演説」→②「テーマ:市民の皆さん、福山市議会は「行政の番犬」にしか過ぎない」→③「本件演説の主たる目的は現在の福山市議会が「異常な・狂った」ものであることを議員達自身に再認識させ、もって正常な市議会の再生を図るため」→④「何が狂っているのか、それは多くの議員達が「市民目線」の意見・提言を主張する他議員の足を「引っ張り、口封じ」を図っている点」→⑤「では、彼等は何故そうするのか、それは目立ち・光る議員に対する「嫉妬心・いじめ」と行政に対する「ゴマ摺り」根性に溢れているから」→⑥「私の本件演説を議会棟の中で聞いた議員達は「驚き」「チュン」として、私に意見(文句)すら言えなかった」

...

(2) まえがき
私は去る7/2,我が市議会の最終本会議開始(13:00から)直前の昼休み時間を活用し、市議会棟の直近(公道上)において約40分間に亘り、上記の「市民の皆さん、福山市議会は行政の番犬にしか過ぎない」旨のテーマで街頭演説をしました。本件演説の狙いは、①我が市議会の異常な・狂った「行政の番犬」状態を市民に周知して貰い、②他方で議員達に猛省を促すことにありました。その結果として私の演説を議会棟議員控え室で聞いていた議員達は「驚き」「チュン」として、後刻、顔を合わせても私に意見(文句)すら言えない・言わない状態にありました。

(3) 本論(本件演説内容の要点)について
(ア)市民の皆さん、こんにちは。市議会議員の石岡久彌であります。本日のテーマは「福山市議会は行政の番犬にしか過ぎない」というものであります。何故このようなことを言わんとしているのかその理由は「市議会が市民の皆さんのために働いていない(行政を叱咤していない)から」「換言しますと市議会は行政の番犬となって、「市民目線」の意見・提言を主張する他議員の足を「引っ張り、口封じ」を図っているから」であります。

(イ)市民の皆さん、議員達はと言えば選挙の時だけは皆さんの前に顔を出して挨拶し、宜しくお願いしますと頭を下げていますが、当選した暁にはスッカリ顔を出さなくなるのが大半の議員ではありませんか?彼等は再選後は選挙期間中の公約もどこかにポイ捨てし、一部の支援者のために「おこぼれを貰いそれを還元すべく」行政にゴマを摺り、馴れ合い・癒着し、もって市民全体のための仕事はしておりません。

(ウ)しからば市民の皆さん、市民目線の、市民全体のためにやるべき議員の最大の仕事とは一体何なのでしょうか?私の答えは「明るく元気な福山の再生」にあります。現在の福山は相も変わらず「暗くて元気が無くて鬱陶しい」街であると多くの市民が間違いなく思い・感じている筈であります。では何が悪く、何が原因で我が市は「暗くて元気が無くて鬱陶しい」街に成り下がって久しいのでしょうか?それは枝広市長の行っている①同和及び市職労を極端に恐れての「エコヒイキ」と②市民への「逆差別」にあると確信致します。それ故、我が市は市民の嫌がる・忌み嫌う行政の撤廃等を速やかに行なうべきと考え、具体的には「市民の嫌がる①同和行政一般施策(差別をするな旨の看板・広報紙・市民憲章、住民学習会等)の撤廃、②市職労との間の歪な労使関係(不信極まる選挙活動、庁舎内事務所の無償貸与、職労組合費の天引き等)の是正を速やかに行なうべきであると確信しております。とりわけ同和行政一般施策は将に北朝鮮並みの「言論の自由」を奪った施策であります。

(エ)最後に多くの議員達は「腹の中」では本件撤廃に大賛成でありながらも、部落開放同盟並びに市職労等出身議員を極端に恐れ「腰抜け」となってものが言えず、全くだらしなく・情け無い状態が続いております。市民の皆さん、これら議員のケツ・尻を叩き、シッカリさせて欲しい。これらの撤廃ができない限り、我が福山は枝広市長の口先だけ・美辞麗句だけのリーダーシップでは「明るく元気な福山の再生」ができる訳が無いと考えます。(以上です)

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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
令和元年。7。4。
 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1) 本日のテーマ:①「枝広市長は案の定、「大ウソ」付きだった」」→②「ウソ付きは泥棒の始まり」」→③「同市長は、なんと、詰まらない、不誠実な、低レベルな市長なのでしょうか」

...

(2) まえがき
石岡久彌は予定通り、去る6/27,福山市議会定例会において質問に立ち、とりわけ本日からスタートします参議員選挙の立候補者・森本真治氏に対する枝広市長の支援・支持理由に関して糾弾致しましたところ、同市長が案の定、「大ウソ」付きだったことが判明しましたので、以下、その点を重点に全国の皆さんに御紹介させて頂きます。他山の石として何らかの御参考になれば幸甚であります。

(3) 本論(枝広市長は案の定、「大ウソ」付きだった)について
(ア)公人(福山市長)としての発言を、政治家(個人)としての発言だと誤魔化し・大ウソを付いた。
   同市長は去る6/11にマスコミ報道された森本真治氏(立憲民主党及び国民民主党推薦)に対する支援表明は政治家としての個人的発言であり、福山市長としての公人発言ではないと私の「初回」質問の中で否定しました。これに対して納得の行かない私は続く「一問一答」において、「市長、誤魔化さんで(ウソを言わんで)下さい。市長、貴方は先般、連日、放映されたFB動画(6/15の森本・福山選挙事務所の開設に際しての枝広市長挨拶)の中で、「福山市長の枝広直幹です」旨、自己紹介されているではありませんか。もし貴方が政治家としての個人的発言をしたと今でも固執するのであれば、同動画の挨拶の中で肩書きを外し「枝広直幹です」とだけ言うべきだったのではありませんか」と厳しく糾弾しました。付け加えるに「市長、個人的発言というのであれば、各種新聞での本件関連記事において福山市長の肩書きを外し、枝広直幹とだけ書くよう、何故、新聞社に言わなかったのですか」と追求しました。

(イ) 次に最も重要な点は同市長の「森本先生は過去3年間、毎日毎日、我々市民の声に耳を傾け、それを国政に反映し、福山地域の発展に貢献して下さった」旨(趣旨)の発言に関して私が「一問一答」において、「それは大ウソだ」と発言(根拠:森本氏自身作成のツイッター及びFBの分析により、同氏が我が福山を訪問したのは1年平均で5回そこらしか過ぎない)し、これに対する市長のコメントを求めましたが、同市長は逃げの一手でありました。読者の皆さん、チョットだけでも考えてみて下さい。すなわち、私の先程の「それは大ウソだ」旨がもし大ウソであったならば、市長たる者、血相を変えて「石岡議員、それこそ大ウソ」だと反論するのが普通ではありませんか。枝広市長は私の指摘した「それは大ウソだ」が事実であるが故に「だんまり」を極め込み誤魔化しをしました。なんと、詰まらない、不誠実な、低レベルな、枝広市長なのでしょうか。

(4) 小生コメント
上記の通り枝広市長は「私は政治家として発言した」と述べましたが、全国の読者の皆さん、政治家は真っ赤な大ウソを言っても許されるのでしょうか?それこそ政治家ではなくて政治屋ですよね。同市長は「心が貧しく」「発想が貧困な」大ウソ付きであります。私は過去3年間の付き合いの中で同市長に福山改革を期待しておりましたが、今度こそガッカリし、情けなくて仕方がありません。昔から「ウソ付きは泥棒の始まり」と申しますが、これは同市長のためにあるのでしょうか?日本中に大恥をさらす同市長は大罪だと確信致します。(以上です)

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