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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.10.5 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:①「角を矯(た)めて牛を殺す勿(なか)れ」→②「福山行政はこの「本末転倒」(わずかな欠点を直そうとして、かえって全体を「だめ」にしてしまう)が何故「愚(ぐ)」と分からないのか」→③「福山行政は本当は分かっているが、解放同盟が怖くて「ビビリ」、同和政治を続けている」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。昨日に引き続いて記事を投稿致しますが、本日のテーマは「角を矯めて牛を殺す勿れ」であります。去る10/1付の小生記事において「石岡議員は公約に基づき初めて「同和政治の撤廃」を市議会において市長に堂々と、声高らかに、解放同盟を恐れることなく、要求・提言致しました」旨を皆様に御報告させて頂きました。その際、理事者が「今後も一般同和施策を続ける」旨答えたため、私は「とんでもない」として「切り札」の本件「角を矯めて牛を殺す勿れ」を強調しました。そこで本日は、この格言に基づき私の「同和政治の撤廃」に関する所信を以下に述べさせて頂きます。最後に皆様からはいつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論(角を矯めて牛を殺す勿れ)
(ア)全般
「角を矯めて牛を殺す」という本来の意味は、曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことを言う。
(イ)我が福山において「角を矯めて牛を殺す」とは、どういうことのか
それは行政が一部の市民による人権侵害(インターネット上の差別記載等)を止めさせようとして、「人権」「差別」政策を強力に推し進めていること(角を矯める)が、大半の市民に以前の解放同盟による暴行・暴言・恫喝等を思い出させ、もって一般市民を「アベコベ」に委縮させ言論の自由を奪うことになり、結果として多くの善良な福山一般市民の心を殺す(牛を殺す)ことを意味する。
(ウ)何故、「角を矯めて牛を殺す」ことが福山で生じているのか
それは行政が解放同盟に「ビビリ」、極端に恐れて「人権」「差別」政治
を相も変わらず断行しているからである。他方で市議会及び圧倒的多数
の市議会議員が解放同盟出身議員に「ビビリ」、行政に「同和政治の撤
廃」を迫り切らない・決断させ切らないからである。
(エ)では、どうしたら「角を矯めて牛を殺す」ことが無くなるのだろうか
その答えは行政が過去の亡霊たる「解放同盟」を恐れることを止め、他方で「市民のための政治奪回」を目指し、常識・良識をもって「人権」「人権」「差別」「差別」という施策を早期に撤廃することに尽きる。一方、市議会は解放同盟出身議員を極端に恐れることを「恥じて」決別し、もって行政の「同和政治撤廃」を後押しすることである。
(4)あとがき
「強きをくじき弱きを助ける(必殺仕置き人)」という、日本古来の素晴らしい格言・正義感があります。しかるに我が福山の行政及び市議会はこれとは全く逆に、「強き(解放同盟)を助け弱き(一般市民)をくじく」ことをやっています。一般市民のだれがどこから見ても異常・異様であります。他方、我が福山市は備後圏域のリーダー・中核として近隣市町を取り纏め備後圏域全体の発展に尽力する旨を枝広市長も表明していますが、近隣市町は福山を利用するだけ利用するものの、腹の中では決して我が福山を尊敬することはなく、逆に同和政治の撤廃さえできない福山を軽蔑しているものと確信致します。その最も分かり易い例が、福山のすぐ北の府中市であります。府中市は備後地域で同和の発祥の地であり巣窟であった場所でありますが、今から10数年前、当時、伊藤市長の時代に市議会の後押しを受けて同和政治を見事撤廃しました。その結果、今では解放同盟出身議員は1名もいない状況であります。「同和政治の撤廃」を一時も早く達成し、まともな・正常な、尊敬される街・福山の奪回が必須であります。
(以上です)