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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.8.29 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:(ア)「福山市長選が終了。村上候補は大奮闘。それにしても低過ぎる投票率」
(イ)「何故、今回も投票率が低かったのか」
(ウ)「福山市民は「民度が低い」では説明できず、心が痛んで「三猿」となっている」
(エ)「では、どうしたら心の痛みを排除し、もって投票率を挙げることができるのか。その答えは「同和政治の撤廃」にある」
(2) 挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。皆様方からは常日頃、「福
山維新の会」及び「石岡久彌」に対して「いいね」「コメント」「激励」等を沢山賜りまして、本当に有難う御座います。引き続き宜しくお願い申し上げます。ところで昨日は我が福山市長選の投開票が行われ、結果として枝広候補が勝利し村上候補が惜しくも僅差で敗れました。本選挙を振り返り最大の課題は「低過ぎる投票率」にあると確信しております。そこで以下の記事におきましてはこの「投票率の低さ」に焦点を当てて私の見解を皆様に紹介させて頂きます。全国の読者の皆様にも宜しく本件記事を御一読頂けましたら幸甚であります。宜しくお願い致します。
(3)本論
(ア)「福山市長選が終了。村上候補は大奮闘。それにしても低過ぎる投票率」について
今回の投票率は約36%であり、4年前の市長選に比べて約14%上ま
りました。しかしながら4年前の投票率は約23%であり全国最低レベルでありました。我が市周辺の最近の投票率を観察してみますと、①府中市が約70%、②尾道市が約64%、③三原市が約66%、④笠岡市が約67%であり、上記我が市の約36%は、①②③④市の約半分であり、以下に低い数字かが読者の皆様には容易にお分かり頂けるものと思います。そこで以下にはこの低い投票率について所見を述べさせて頂きます。
(イ)「何故、今回も投票率が低いのか」について
まず、村上候補は良く頑張ったと深く敬意を表します。
次に本題の投票率が低かった要因としては第1点目は、村上候補の弱腰(弱気)にあったと思われます。すなわち、村上候補は枝広陣営に対して「しがらみ選挙」旨の批判を繰り返しながらも、もう一方で、自らもこの「しがらみ」陣営(市役所職員等)から票を貰おうとして強気の主張をしませんでした。
具体的には、市役所職員の給与等カットがたったの2%(しかも一律ではなく、業務の見直し、手当の見直し、外部委託等による)(村上候補本人が給与の3割カット、退職金の8割カットを公約しているのだから、橋下・元大阪市長を見習って最小限でも市役所職員給与の10%カットを主張して欲しかった)という主張でした。
弱腰(弱気)の2つ目は、「同和政治の撤廃」を強く言いだしきれなかったことであります。村上候補は、新聞の取材の中では、「長いものに巻かれて、自分の言葉を殺さないと生きていけない福山市は、異常な事態だ」と述べていますが、このことを堂々と「ちらし」等にも記載し、街頭演説でも口にして、もって「同和政治の撤廃」を強調すべきであったと悔やまれます。
弱腰(弱気)の3つ目は、枝広候補の「乗合い」「しがらみ」選挙の弱点(私の過去の記事を御参照下さい)を鋭く・解かり易く突いた選挙運動をしていなかった点を指摘できます。
投票率が低かった要因としての第2点目は市民の問題であり、次の(ウ)で述べます。
(ウ)「福山市民は民度が低いでは説明できず、心が痛んで三猿となっている」について
投票率が低いのは、「市民が白け切って「政治無関心」だからというのが私の従来からの見解でありました。すなわち、福山市民は、①天候、気象、災害の少なさ、その他環境等に恵まれた中、②とんでもない政治・行政への「あきらめ」「信頼感の喪失」、③誰が市長になっても変わらないという失望感等により、市民は白け切り、政治無関心になってしまったというものでありました。
さはさりながら今回の12年ぶりの新人対決は、①「乗合い選挙」(組織選挙)対「無党派選挙(浮動票選挙)」、②「羽田政治の継続」対「大改革」等の違いがあり、それなりに新鮮味があったと思われながら、蓋を開けてみると上記の通り、その投票率は依然、極めて低いものでありました。投票したい候補者がいないと言うのであれば、「白票」を投じれば良いにも関わらず,棄権するという事態は「民度が低い」というだけでは説明がつかず、そこで私は「福山市民は心が痛んでいる」のではと考える次第であります。心が痛み、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)となって、「無気力」になっているのではと危惧している次第であります。
(エ)「では、どうしたら心の痛みを排除し、もって投票率を挙げることができるのか。その答えは「同和政治の撤廃」に尽きる」について
本日は紙面の都合につき細部記述を省略させて頂きます。
(4)あとがき
長文の駄文を最後までお読み頂き深謝申し上げます。
以上です。