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石岡 久彌
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元防衛庁
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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29.3.31 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

 

「石岡久彌による講演(その2)」

                

「御挨拶」:先程UPしました「石岡久彌による講演(その1)」の続編としまして、ここに「石岡久彌による講演(その2)」をUP致します。引き続き御笑覧の程を宜しくお願い申し上げます。

 

                 記

 

「講 演 内 容」  

H。29.5.1

石 岡 久 彌

先程御紹介頂きました「石岡ひさや」であります。

私は現職の市議会議員であり、また、「福山維新の会」代表でもあります。

本日は講演の機会を頂きまして、まずもって、御礼を申し上げます。

実は私は以前にも一回、すなわち、約7年前でしょうか、貴法人会から御招待を受け、講演させて頂いたことがあります。

その時のテーマは「フィンランド事情」というものでありました。

その背景・理由は私が当時の防衛庁から外務省に出向して在フィンランド日本国大使館で「防衛駐在官」として3年間勤務した(39歳から42歳まで)経歴があったからであります。

 

次に遅くなりましたが簡単に自己紹介させて頂きますと、その要点は「レジュメ」の下のところに書いている通りであります。

すなわち私は御幸町の中津原にあります「石岡製粉所」の息子として生まれ、誠之館高校を昭和38年に卒業し、その後、防衛大学校へ進学・卒業して、陸上自衛隊に配置されました(実際は陸自を離れて陸・海・空の共通・統合業務が防衛庁勤務中、約1/3でした)。

その後は定年退官(陸将補で)するまで約35年間、当時の防衛庁に奉職し、約2年ごとの全国転勤の中で多種多様な業務に従事致しました。

定年後は7年ほど関東地区でゼネコンの役員等(顧問職を避けて)として再就職しておりましたが、今から9年前に妻から呼び返されて故郷たる福山へUターンし、その後は妻の経営します学習塾の「公文教室」で先生をしておりました。

そのような最中、昨年4月の市議会議員選挙におきまして初めて立候補し、皆様方の絶大なる御支援を賜り、お蔭で当選することが出来、本日まで市議会議員の仕事に専念致しております。

ちなみに同選挙時の公約は①同和政治の撤廃(ポイ捨て)と②自己報酬の半額返納というものであり、ブレルことなく、恐れることなく、この同和政治の撤廃を目指して今も勇猛果敢に活動しているところであります。

 

次に本日の講演ですが、(1)テーマは「我が福山を元気で光輝く街としませんか!!」とし、次いで(2)サブテーマを「「腐り・狂っている」福山行政を変えるためには市議会改革が必須です」と致しております。

皆様の中にはこのテーマを御承知されてビックリし、石岡議員は「頭が狂っているのではないか(注:「腐り・狂っている福山行政」旨を述べましたので)」と御心配されておられる方もいるでしょうか?

全く正常でありますので御心配は御無用です。

次いでお話の内容・順序はレジュメに書いている通りですが、(1)福山とは一体どんな街でしょうか?(2)枝広行政の現状と課題、(3)市議会の現状と課題、(4)福山市民のやるべきことは何でしょうか?について時間の許す範囲でお話しさせて頂きますので宜しくお願い致します。

 

次に何故、このようなテーマ及びサブテーマにしたのかについて紹介させて頂きますと、それは先程紹介しました私の9年前のUターン直後のショックが大で、その後も福山政治・行政の「ひどさ」は根本的には改善・改革されていないからであります。

すなわち、私の故郷である「愛すべき我が福山」がとんでもない、「暗くて・元気が無くて・鬱陶しい街」に成り下がっていることにビックリ・ガックリ・仰天したからであります。

 

そこでここからは、(1)「福山とは一体どんな街でしょうか?」からスタートして本論に入りたいと思います。

先程述べました通り、私は我が福山が「暗くて・元気が無くて・鬱陶しい街」に成り下がっていることを感じたのは、私が福山へUターンした1年後の事でした。

それは縁あって私が「福山市民オンブズマン会議」に入会した際、福山の政治・行政事情及び市民の心情・行動等を承知・認識させられたことが契機となりました。

すなわち、同オンブズマンの人達の説明によれば、「福山は約40年続いた同和政治・行政のために市民が三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)状態となり、怖くて「委縮」し、もって「暗くて・元気が無い」街に成り下がっている」という話でありました。

それを裏付けるかの如く、私が改めて福山駅周辺や中心市街地アーケード街に行って観察してみると、人通りは少なく、シャターは締まり、また市民は暗い顔をして下を向いて歩いているのが目に付きました(これに対してここ神辺地区は極めて活気がありますが)。

そこでその原因は一体どこに・いずこにあるのだろうかが私の当時の最大の関心事となり、本日のテーマに繋がりました。

その探求の結果が「気違い染みた同和行政の継続」にあると私は結論付けました。

その理由は市民が「何かが怖い」「誰かが怖い」として、「自由にものを言わない・言えない」、「貴方だけよと小さな声で私に囁く」「近所の人にも何を言われるか分からないので、自由にしゃべれない」等として、福山政治・行政、とりわけ、同和に関することについては三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)となり、もって福山政治に関することはタッチしないこと・無関心が判明したからでありました。

その後、オンブズマン会議の中で、「ではどうしたら良いのだろうか?」「どうしたら福山を変えれるのだろうか?」に関する議論があり、これが同オンブズマン会議規約の修正等に関する議論に発展しましたが、「同会議から政治家を送り出して解決を図るのが良いのでは?政治家を擁立すべきではないだろうか?」とする私の提案には合意が得られませんでした。

どういうことかと申しますと、福山政治・行政を根本的・抜本的に変えるためには、同オンブズマンが只単に「チクリ(行政の金の使い方や仕事の仕方等の問題点・課題を単にチクリチクリと刺す)」をやっているだけでは解決できず、それ故、オンブズマンは政治活動に参加し、もって市長や市議会議員を擁立し、担ぎ出し、政治活動に積極的に参加・介入すべきとの私の意見に対して他の役員は「オンブズマンは政治的中立を維持・保持すべき」として合意に至らなかったのでありました。

しかしながらオンブズマンの政治活動不参加の本当の理由・真意は「同和が怖いから同和問題に直接的に触れたくない」にあることが透けて見えました。

そこで私はほんの3ケ月、オンブズマン会議に在籍(自主的に役員に就任)しただけで同会議を見くびって脱会し、その後はすぐに「福山維新の会」を仲間約30人とともに立ち上げました。(続く)」

 

「あとがき」:「石岡久彌による講演(その2)」の続編(その3以降)は4月上旬となりますので(上京のため)、宜しく御承知下さい。

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