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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。29.4.4 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
「石岡久彌による講演(その3)」
「御挨拶」:全国の読者の皆様、お早うございます。昨晩遅く、東京への私的出張(Ⅰ泊2日)を終えて帰福致しました。約束通り、「石岡久彌による講演」の続編(その3)を以下に皆様に御紹介させて頂きます。なお、同(その1)は講演「レジュメ」であり、同(その2)は講演内容として①自己紹介、②講演の概要、③「福山とは一体どんな街でしょうか?」(前半)について述べさせて頂きました。そして本(その3)におきましては、①「福山維新の会」の設立及びその後の経過について、②「市議選への出馬決意」について、③私の「市議選の特色」について紹介致します。皆様には引き続き気楽な気持ちでお読み頂ければ幸甚と考えます。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。
記
「講 演 内 容」
(前からの続き)
(1)「福山維新の会」の設立及びその後の経過について
(ア)立ち上げ後は月1回位のペースで会合を開いておりましたが、日が経
つにつれて参加者が減ってきました。
その理由は暗に、「同和が怖い。それ故、自分が同和政治撤廃活動に参加していることを他の人に知られたくないため離れる」というものでした。
(イ)他方で私は「では自分は一人になっても「同和政治撤廃(ポイ捨て)」活動を行う」として、①街頭演説や②FBへの記事投稿を始めました。
将に今も私が行っている政治活動の原型・ひな形を、私はこの当時すなわち約7年前に確立し、現在に至っております。
ちなみに当時の我が「福山維新の会」の基本的な考え方は、福山改革のためには市長を変えなければちっとも進まないというものでありました。
(ウ)ところが「同和を恐れる」市民感情を考えますと、現市民の中から誰を選ぼうと、或いは、誰が出馬しようとも、結局は「この人は「同和政治撤廃」市長に適任である」「この人なら市長として同和政治を撤廃してくれる」という人物はいないことが分かってきました。
そこで「「しがらみ」の無い・よそ者・変わり者の人物」でなければ、すなわち、落下傘候補・市長でなければ、福山改革は出来ないとの結論から、我が維新の会の基本的考え方は、①目的は「福山改革を図る」、②目標は「落下傘市長の擁立」を掲げました。
その後、街頭演説やFB記事掲載等を通じて「落下傘市長の擁立」を訴えましたが、残念ながら大きな「うねり」とはならず、月日が経過していきました。
(2)「市議選への出馬決意」について
(ア)しかしながら私は決して諦めず、政治活動を継続している中で、結局
は「自分が政治家、最小限でも市議会議員になるしかない」「取り敢えず市議会議員になろう」と考え始め、それが昨年4月の市議会議員選挙の初出馬となりました。
(イ)結果は皆様のお蔭で当選出来ましたが、実は市議選出馬は悩みの種が 尽きませんでした。
何故かと申しますと、私の公約は「同和政治の撤廃(ポイ捨て)」という中で、私を支援してくれる選挙参謀・支持団体等が皆無に近かった(典型的な「浮動票」狙いの選挙体制)からでありました。
すなわち、私にも支持者たる同級生等がいましたが、彼等とて「同和が怖い」「商売・仕事等に悪影響が出る」として前面に出て応援活動等をしてくれる人は少数でありました。
(注:しかしながら今の・現実の同和は少しも怖くはありません。活動しているのは解放同盟の中の一握りの人間だけであり、他方で解放同盟は高齢化し、後継者難に苦しんでおります。一方、多くの市民は昔の亡霊(怖い同和)が脳裏から離れず、依然、今でも怖いと思っているのは誠に残念です)
(ウ)そこで私は改めて自分一人でも選挙活動をすると決意し、①街頭演説、 ②FB記事掲載に付け加えて、③ちらしの作成・配布、④柔道着を着こんでの自転車乗り回しPR活動、⑤「看板」の設置等を開始しました。
(3)私の「市議選の特色」について
(ア)さはさりながら私の選挙活動の特色は次のものとなり、特異と申しますか、決して楽なものとはなりませんでした。
すなわち、①選挙事務所を街中に設置しない、②出陣式を行わない、等 でした。
おそらく皆様は以下の話を聞かれて、「よくまあ当選出来たこと」旨の感想を抱かれていることかと拝察致します。
(イ)この2点について少々紹介させて頂きますと、
(a)まず一つ目の「選挙事務所を街中に設置しない」についてですが、結果として私は伊勢丘の①大門高校の直ぐ下に所在する、②車もほとんど通らない閑静な住宅地にある、「自宅」に事務所を設けました。
選挙事務所と言うのは名前だけで、①選挙期間中でも事務所から有権者に電話を掛け、「清き一票をお願いします」旨を依頼したことは私も妻もその他の誰も一度も行っていないし、②誰も来て下さらないものと覚悟して湯茶の準備もしませんでしたし、③駐車場の準備もしませんでした。
(b)次に二つ目の「出陣式を行わない」については、他の候補者は全員が出陣式を行ったことと推察致しますが、私は何らの出陣式も行いませんでした。
以上二つの特異な事例、すなわち、①選挙事務所を街中に設置しない、 ②出陣式を行わない、を御紹介致しましたが、これらはすべからく、同和が怖いことが端を発しての事例と相なりました。
(c)ここで更に「同和が怖い」「同和政治を進める市役所が怖い」としての次なる事例を紹介させて頂きますと、それは選挙カーの手配の件でありました。
具体的にはこの選挙カーを福山市内のタクシー業者から差し出してもらうことが出来ませんでした。
すなわち約20軒のタクシー業者に私自ら片っ端から電話で、或いは、 面会して提供を依頼致しましたが、全て断られました。
その理由はタクシー業者は口でこそ言いませんでしたが、私の選挙公約が「同和政治の撤廃」にあったことから、「同和が怖い」「同和政治を進める市役所が怖い」というものであったと今でも確信しております。
ではどうしたのかと言いますと、その答えはすぐ隣の府中市にあるタクシー会社に提供を依頼し、気持良くOKして頂き難を逃れることが出来ました。
(d)最後に私の選挙活動の特色は「クリーン」な選挙でありました。す なわち、①戸別訪問等の選挙違反は全く行わず、②買収行為も全く行わず、絵に描いたようなクリーン選挙でありました。
(e)最後の最後として私の選挙活動の特色は「金の掛からない、金を掛 けない選挙」でありました。
すなわち多くの市議選立候補者は平均して400万から500万円の選挙費用を使ったと聞いておりますが、私の場合にはたったの70万円(①ウグイス嬢代、②選挙用ポスターの掲示代、③選挙カー用の看板及びスピーカー代等)でした。
その理由は、①選挙事務所を自宅にし、且つ、事務員を置かなかった から、②ウグイス嬢には規則通りの金しか払わなかったから、③選挙用ハガキの表書き等は私自ら2000枚を行ったから、④選挙参謀・支援員がおらず、費用が掛からなかったから、⑤事務所には誰も支持者は来ず、湯茶費用等が全く掛からなかったから等でありました。
この金の掛からない選挙については本講演の最後として「今後市民と してやるべきこと」の一つに「3年後の市議選においては「血を変える」(改革派市議を多数選出)こと」を紹介致し、それに関連しますが、私が申し上げたいことは①発想の転換、②本人の努力次第で選挙費用も余り掛からず立候補・当選し、もって改革派市議の多数選出が可能になり、福山改革ができるのではありませんかという点であります。(続く)」
(以上です。長文の駄文を最後までお読み頂き有難うございました)