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7/1は527日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(7/2)は、「学校は変われるのか?」→「校長等が部下に媚びたり、教師が生徒にへつらったりしているのが学校の現状」→「教師の誇りと自信の回復無くして、学校教育の目標達成や社会性の育成は困難である」について、述べてみます。
(1)まず、6/21付の「日本時事評論」はP8に「主題:学校は変われるのか? 副題:心は言葉に現れる」旨のタイトルで記事(元校長の大山武氏執筆)を掲載しておりますところ、その要点を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)6月の父の日に授業参観日や学校公開が設定されている小中学校も多い。言語環境の重要性が叫ばれている中、愕然とする場面に出会った。
(イ)「できた方は、お出しください」。どのような場面で誰が、誰に言っているのか。小学校4年生の国語の授業の場面である。課題である作文を書き終わった子供に対して提出するよう指示している担任の言葉だ。「できたら出しなさい」で十分である。百歩譲っても「できた人は出してください」が限界だ。
(ウ)平成生まれの教師が誕生する時代だが、敬語の使い方を知らないのではなく、学校教育で正しく教えられてこなかったのである。今すぐに適切な言葉遣いの教員研修を実施すべきだ。
(エ)学年始めの全体保護者会でも、「○○先生には、学年主任をやっていただいています」と部下である身内の教員を外部の人に紹介する上司たる校長の言葉を聞いたことがある。次に、「××先生が、お見えになりましたので、会議をはじめます」については、立派な講師を招聘した会議での司会者の言葉と思いきや、驚くなかれ職員会議に遅れてきた一般教員に対する教頭の言葉である。
(オ)上司が部下に媚びたり、教師が子供にへつらったりしていては、本来の学校教育目標の達成や、社会性の育成という面からも多いに問題である。戦後教育の誤った平等観や屈折した「子供主人公」主義により、立場や関係を表す言葉の正しい使い方が蔑ろにされてきたからである。上司と部下、教師と子供の関係が崩壊しつつある表れでもある。
(カ)管理しない管理者、指導しない指導主任、教えない教師と揶揄されないためにも、教師の誇りと自信を取り戻してほしい。そのためには、教師一人ひとりが情熱と行動力をもって、子供への理解と教科指導等の専門性を高めることだ。
というものであります。
(2)次に上記投稿記事に関する小生コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)上記記事は、元校長の大山武氏執筆によるものであります。同氏はどこの学校の校長等をされ、また、経歴・人生観・主張等が明記されていないため、上記記事をどこまで信頼できるのかについては多少の疑義を払拭できませんが、それでも小生は同氏の毅然とした、勇気ある主張・提言は正論だと思っております。
(イ)「校長等が部下に媚びたり、教師が生徒にへつらったりしているのが学校の現状」について
本件風潮・悪しき伝統は、日教組、モンスタ-・ペアレンツ等による誤った平等観や屈折した「子供主人公」主義を背景としたものでしょうが、学校の使命・責任等を蔑ろにした、とんでもないシロモノであると思います。学校の使命・責任の最たるものは、混沌とし、他方で乱れた思想・価値観に溢れた情勢の中で、世界に冠たる日本を創造・再生するために将来の人物を造ることにあり、毅然とし・燐とした校務運営が必須と考えます。
(ウ)「教師の誇りと自信の回復無くして、学校教育の目標達成や社会性の育成は困難である」について
我が国の昔の教育の素晴らしさは、寺小屋教育がその原点にあったと思われます。そこでの高邁な思想とマインドに、我々日本人は再度思いを致すべきと考えます。教師の誇りと自信の回復無くして、学校教育の目標達成や社会性の育成は困難であると小生も同感であります。
(エ)最後に、余談で且つ誠に恐縮ですが、妻が目下、経営(小生はお手伝い)しております我が公文教室について若干紹介させて頂きますと、我が教室は厳しく生徒及び保護者に向かい合うことで有名な教室であります。保護者からの支持を得て、市内の広範囲から生徒が集まってきております。我が教室は、ある意味では「寺小屋教室」であり、愛のムチをベースとした戸別指導・教育(勉学及び躾指導)であります。
というものであります。
(3)最後に上記記事に関する福山維新の会代表としての小生コメントは、「福山市職労は歪んだ上記学校運営の落とし子・申し子ではないだろうか?」というものであります。すなわち、我が市には、ヤミ専従組織の後継者として「サービス向上意見交換会」というものが現在ありますが、市幹部と職労が構成している本交換会は、職労の行政への不当介入・要求等と判断されています。市民目線で無い職労利益追求の政治・行政がまかり通っていてなんとも酷いものであり、一時も早く改善する必要があります(終り)。
(1)まず、6/21付の「日本時事評論」はP8に「主題:学校は変われるのか? 副題:心は言葉に現れる」旨のタイトルで記事(元校長の大山武氏執筆)を掲載しておりますところ、その要点を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)6月の父の日に授業参観日や学校公開が設定されている小中学校も多い。言語環境の重要性が叫ばれている中、愕然とする場面に出会った。
(イ)「できた方は、お出しください」。どのような場面で誰が、誰に言っているのか。小学校4年生の国語の授業の場面である。課題である作文を書き終わった子供に対して提出するよう指示している担任の言葉だ。「できたら出しなさい」で十分である。百歩譲っても「できた人は出してください」が限界だ。
(ウ)平成生まれの教師が誕生する時代だが、敬語の使い方を知らないのではなく、学校教育で正しく教えられてこなかったのである。今すぐに適切な言葉遣いの教員研修を実施すべきだ。
(エ)学年始めの全体保護者会でも、「○○先生には、学年主任をやっていただいています」と部下である身内の教員を外部の人に紹介する上司たる校長の言葉を聞いたことがある。次に、「××先生が、お見えになりましたので、会議をはじめます」については、立派な講師を招聘した会議での司会者の言葉と思いきや、驚くなかれ職員会議に遅れてきた一般教員に対する教頭の言葉である。
(オ)上司が部下に媚びたり、教師が子供にへつらったりしていては、本来の学校教育目標の達成や、社会性の育成という面からも多いに問題である。戦後教育の誤った平等観や屈折した「子供主人公」主義により、立場や関係を表す言葉の正しい使い方が蔑ろにされてきたからである。上司と部下、教師と子供の関係が崩壊しつつある表れでもある。
(カ)管理しない管理者、指導しない指導主任、教えない教師と揶揄されないためにも、教師の誇りと自信を取り戻してほしい。そのためには、教師一人ひとりが情熱と行動力をもって、子供への理解と教科指導等の専門性を高めることだ。
というものであります。
(2)次に上記投稿記事に関する小生コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)上記記事は、元校長の大山武氏執筆によるものであります。同氏はどこの学校の校長等をされ、また、経歴・人生観・主張等が明記されていないため、上記記事をどこまで信頼できるのかについては多少の疑義を払拭できませんが、それでも小生は同氏の毅然とした、勇気ある主張・提言は正論だと思っております。
(イ)「校長等が部下に媚びたり、教師が生徒にへつらったりしているのが学校の現状」について
本件風潮・悪しき伝統は、日教組、モンスタ-・ペアレンツ等による誤った平等観や屈折した「子供主人公」主義を背景としたものでしょうが、学校の使命・責任等を蔑ろにした、とんでもないシロモノであると思います。学校の使命・責任の最たるものは、混沌とし、他方で乱れた思想・価値観に溢れた情勢の中で、世界に冠たる日本を創造・再生するために将来の人物を造ることにあり、毅然とし・燐とした校務運営が必須と考えます。
(ウ)「教師の誇りと自信の回復無くして、学校教育の目標達成や社会性の育成は困難である」について
我が国の昔の教育の素晴らしさは、寺小屋教育がその原点にあったと思われます。そこでの高邁な思想とマインドに、我々日本人は再度思いを致すべきと考えます。教師の誇りと自信の回復無くして、学校教育の目標達成や社会性の育成は困難であると小生も同感であります。
(エ)最後に、余談で且つ誠に恐縮ですが、妻が目下、経営(小生はお手伝い)しております我が公文教室について若干紹介させて頂きますと、我が教室は厳しく生徒及び保護者に向かい合うことで有名な教室であります。保護者からの支持を得て、市内の広範囲から生徒が集まってきております。我が教室は、ある意味では「寺小屋教室」であり、愛のムチをベースとした戸別指導・教育(勉学及び躾指導)であります。
というものであります。
(3)最後に上記記事に関する福山維新の会代表としての小生コメントは、「福山市職労は歪んだ上記学校運営の落とし子・申し子ではないだろうか?」というものであります。すなわち、我が市には、ヤミ専従組織の後継者として「サービス向上意見交換会」というものが現在ありますが、市幹部と職労が構成している本交換会は、職労の行政への不当介入・要求等と判断されています。市民目線で無い職労利益追求の政治・行政がまかり通っていてなんとも酷いものであり、一時も早く改善する必要があります(終り)。
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6/28は524日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(6/29)は、「漫談家・「綾小路(あやのこうじ)きみまろ」さんの投稿記事」→「「読む」と「安心」 産経は私の原点」→「我が福山維新の会は「「見る・知る・読む」と「安心」」と言われる存在になりたい」について、述べてみます。
(1)まず、6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P22に「読むと安心 産経は私の原点」旨のタイトルで記事(漫談家・「綾小路(あやのこうじ)きみまろ」さん執筆)を掲載しておりますところ、「綾小路(あやのこうじ)きみまろ」さんらしい(苦労人でありながら、ユーモア溢れる・楽しい)文面を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)故郷である鹿児島県松山町(現志布志市)から上京して、18から20歳くらいまで2年間、北千住の販売店に住み込んで、産経新聞を配っていました。まさに(得意ネタの)「あれから40年」です(笑)。
(イ)上京して最初に行ったのも、大手町の産経新聞東京本社です。とにかく東京に出て、司会者になりたいという夢があった。でも東京にツテがなくて、高校に新聞奨学生の勧誘で来た産経の須田光夫さんと気が合って、その人を頼ったんです。だから産経は、私の原点なのです。
(ウ)販売所では朝3時半ごろに起きて、朝夕刊など180軒ほど自転車で配っていました。ズボンのお尻がすり切れて、インクがついて洗濯すると黒い汁が出た。大学にも通ってハードでしたが、若かったですね。
(エ)配達には破けたときのため新聞を余分に持って行くんですが、私はそれを配達していた病院の患者さんに無料であげていました。その入院患者に偶然、大きなキャバレーの営業部長がいて、親しくなって身の上話をしたら、「それならうちで」と誘ってくださった。
(オ)それで販売店を辞め、ボーイをしていた時にチャンスがあって司会をしたのが、事実上の芸人デビューになりました。運命のいたずらですね。
(カ)(配達当時のこととして)忘れもしないな。私の配った産経を抜いていく他紙の配達員がいました。以前は他紙を取っていたのに、産経に替えたものだから、嫌がらせです。絶対に私は配達したのに、不配の電話がかかってくる。それで頭にきて、ある朝早く配達の順番を逆さにして待ち伏せをしたんです。すると案の定、目の前で私の配った産経が抜かれた。それで現行犯をとっつかまえて、大げんかになった(笑)。結局うちの店主と他紙の店主が話をして、和解したことがあります。今はすべて、いい思い出ですね。
(キ)産経新聞を見ると当時を思い出します。今は新聞がスマートフォンにおされていますね。でも中高年はスマホを使えないし、新聞を読むと安心するんです。私もそうです。同じ時代を生きた産経新聞には頑張ってほしい。私ですら生き残っているんですから、部数が減っても生き残って欲しいです。
というものであります。
(2)次に上記投稿記事に関する小生コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)「産経は綾小路さんの原点」について
綾小路きみまろさんの原点が産経にあることを承知して大変興味深く感じました。同氏が販売店に住み込んで新聞配達をしつつ大学に通いながらも、他方で同配達を通じて大きなキャバレーの営業部長と知り合った。そしてその巡り合わせを上手く生かして芸人デビューに漕ぎ着け、その後も紆余曲折がありながらも現在に至るまで素晴らしい実績を積み上げられたのは、やはり同氏の素養・人間的魅力・努力・ブレない人生哲学等があったからだと確信致します。産経を自己の原点にし得た同氏に深く敬意を表する次第であります。
(イ)「綾小路さんの「読むと安心」」について
綾小路さんは上記の通り、スマホに比べて「新聞を読むと私も安心するんです」旨述べています。同氏は産経新聞とは断言していませんが、「産経が原点」と言い切る同氏に取り、上記新聞とは恐らく産経のことだろうと推測されます。ところで、小生に取り読んで安心できる新聞は産経であります。ちなみに我が家では2紙(産経及び毎日) を取っていますが、小生には産経が必須であります。産経の「創刊80周年特別記念別冊」には多くの著名人が産経に対する80周年「激励メッセージ」を寄稿しておられます。そして寄稿記事における概ね共通の産経賛辞は「軸がぶれない」「論調がはっきりしている」等、換言すれば、「読むと安心」「安心して読める」というものだと認識しております。では、何故、「安心」なのかを小生の重要な・好きな言葉で、僭越ながら代弁させて頂きますと、それは、産経が「真善美」を踏まえて記事を執筆・掲載しているからだと思料しております。
というものであります。
(3)最後に上記記事に関する福山維新の会代表としての小生コメントは、「我が福山維新の会は「見る・知る・読むと「安心」」と言われる存在になりたい」
というものであります。(終り)
(1)まず、6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P22に「読むと安心 産経は私の原点」旨のタイトルで記事(漫談家・「綾小路(あやのこうじ)きみまろ」さん執筆)を掲載しておりますところ、「綾小路(あやのこうじ)きみまろ」さんらしい(苦労人でありながら、ユーモア溢れる・楽しい)文面を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)故郷である鹿児島県松山町(現志布志市)から上京して、18から20歳くらいまで2年間、北千住の販売店に住み込んで、産経新聞を配っていました。まさに(得意ネタの)「あれから40年」です(笑)。
(イ)上京して最初に行ったのも、大手町の産経新聞東京本社です。とにかく東京に出て、司会者になりたいという夢があった。でも東京にツテがなくて、高校に新聞奨学生の勧誘で来た産経の須田光夫さんと気が合って、その人を頼ったんです。だから産経は、私の原点なのです。
(ウ)販売所では朝3時半ごろに起きて、朝夕刊など180軒ほど自転車で配っていました。ズボンのお尻がすり切れて、インクがついて洗濯すると黒い汁が出た。大学にも通ってハードでしたが、若かったですね。
(エ)配達には破けたときのため新聞を余分に持って行くんですが、私はそれを配達していた病院の患者さんに無料であげていました。その入院患者に偶然、大きなキャバレーの営業部長がいて、親しくなって身の上話をしたら、「それならうちで」と誘ってくださった。
(オ)それで販売店を辞め、ボーイをしていた時にチャンスがあって司会をしたのが、事実上の芸人デビューになりました。運命のいたずらですね。
(カ)(配達当時のこととして)忘れもしないな。私の配った産経を抜いていく他紙の配達員がいました。以前は他紙を取っていたのに、産経に替えたものだから、嫌がらせです。絶対に私は配達したのに、不配の電話がかかってくる。それで頭にきて、ある朝早く配達の順番を逆さにして待ち伏せをしたんです。すると案の定、目の前で私の配った産経が抜かれた。それで現行犯をとっつかまえて、大げんかになった(笑)。結局うちの店主と他紙の店主が話をして、和解したことがあります。今はすべて、いい思い出ですね。
(キ)産経新聞を見ると当時を思い出します。今は新聞がスマートフォンにおされていますね。でも中高年はスマホを使えないし、新聞を読むと安心するんです。私もそうです。同じ時代を生きた産経新聞には頑張ってほしい。私ですら生き残っているんですから、部数が減っても生き残って欲しいです。
というものであります。
(2)次に上記投稿記事に関する小生コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)「産経は綾小路さんの原点」について
綾小路きみまろさんの原点が産経にあることを承知して大変興味深く感じました。同氏が販売店に住み込んで新聞配達をしつつ大学に通いながらも、他方で同配達を通じて大きなキャバレーの営業部長と知り合った。そしてその巡り合わせを上手く生かして芸人デビューに漕ぎ着け、その後も紆余曲折がありながらも現在に至るまで素晴らしい実績を積み上げられたのは、やはり同氏の素養・人間的魅力・努力・ブレない人生哲学等があったからだと確信致します。産経を自己の原点にし得た同氏に深く敬意を表する次第であります。
(イ)「綾小路さんの「読むと安心」」について
綾小路さんは上記の通り、スマホに比べて「新聞を読むと私も安心するんです」旨述べています。同氏は産経新聞とは断言していませんが、「産経が原点」と言い切る同氏に取り、上記新聞とは恐らく産経のことだろうと推測されます。ところで、小生に取り読んで安心できる新聞は産経であります。ちなみに我が家では2紙(産経及び毎日) を取っていますが、小生には産経が必須であります。産経の「創刊80周年特別記念別冊」には多くの著名人が産経に対する80周年「激励メッセージ」を寄稿しておられます。そして寄稿記事における概ね共通の産経賛辞は「軸がぶれない」「論調がはっきりしている」等、換言すれば、「読むと安心」「安心して読める」というものだと認識しております。では、何故、「安心」なのかを小生の重要な・好きな言葉で、僭越ながら代弁させて頂きますと、それは、産経が「真善美」を踏まえて記事を執筆・掲載しているからだと思料しております。
というものであります。
(3)最後に上記記事に関する福山維新の会代表としての小生コメントは、「我が福山維新の会は「見る・知る・読むと「安心」」と言われる存在になりたい」
というものであります。(終り)
6/25は521日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(6/26)は、「「あって良かった」富士山」→「「あって良かった」と言われる新聞を目指す産経」→「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」について、述べてみます。
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
6/25は521日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(6/26)は、「「あって良かった」富士山」→「「あって良かった」と言われる新聞を目指す産経」→「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」について、述べてみます。
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
6/25は521日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(6/26)は、「「あって良かった」富士山」→「「あって良かった」と言われる新聞を目指す産経」→「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」について、述べてみます。
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
(1)まず、富士山については、皆さん、先刻御承知の通り、6/22,三保松原を含めて世界遺産登録がユネスコにより決定されました。本件登録決定に関しては、下記の小生演説の中で触れることと致しまして、その前に6/20付の産経新聞は「産経新聞創刊80周年特別記念別冊」P1に「「あって良かった」新聞へ」旨のタイトルで記事(論説委員 皿木喜久)を掲載しておりますところ、読者の心を撃ち・捉える名文を以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)平安初期に成立したという「竹取物語」の「むすび」に唐突なように富士山が登場する。
(イ)かぐや姫が月の世界に去り、落胆する帝が「天に近いのはどの山か」と問う。「駿河の国にある山」という答えに、使いを山頂に登らせ、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまう。
(ウ)だからその山を、「ふじの山」と言い、その煙はいまだ雲の中へ立ち上っているのだという。
(エ)当時、日本列島の人の往来はそれほどでもなかったことだろう。だが、都人の心の中にも霊峰・富士の姿が、「不死」の願いを込め刻み込まれていたのだ。
(オ)やがて東海道が整備され、武士も町人も足繁く江戸と上方、そして伊勢とを行き来した。その途次、富士山は旅人を励まし、その道標となった。旅人たちも思わず手を合わせたに違いない。
(カ)近代を迎えると、列車の窓から仰ぐ富士山となった。夏目漱石の「三四郎」で、広田先生は隣り合わせた三四郎に「あれより外に自慢するものは何もない」としっかり見るように勧める。
(キ)日本人にとって富士山への想いはきっと「日本にあって良かったね」であり、「あってくれてありがとう」だった。
(ケ)産経新聞は今日、創刊80周年を迎えた。むろん富士山の悠久の歴史や偉容には比べようもない。それでも今日まで「日本にあって良かったね」と言われるような新聞を目指してきた。明日からも目指していきたいと思う。
というものであります。
(2)次に、昨今の小生街頭演説の中から、世界遺産登録関連部分を以下に抽出し紹介させて頂きます。それは、すなわち、
(ア)市民の皆さん、本日は「伝統文化をぶっ壊そうとする福山の政治はやはり異常・非常識ですよね!!」のテーマでお話をさせて頂きます。
(イ)何故、こんなことを言おうとしているのか。その理由は、先日の富士山及び三保松原の世界遺産登録に尽力された①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家の間には大なる(雲泥の)差があるからであります。すなわち、その差は、①伝統文化を大事にしよう・進化させようとする山梨及び静岡の政治家(県知事、市町長等)と、②全く逆に鞆の浦の伝統文化をぶっ壊し架橋建設をしようとする・した福山の政治家(羽田市長、all与党化した市議会・市議会議員、福山地区選出の県会議員)という点に見られます。新聞報道によれば、山梨県及び静岡県の両知事は、近藤・文化庁長官とともに、世界遺産登録が決定したプノンペンの会場で、決定後、立ち上がって握手を交わし、喜びを爆発させたそうです。そして、静岡県知事は歓喜の涙をこぼしたそうです。
(ウ)そこで市民の皆さん、上述①山梨県及び静岡県の政治家と②我が福山の政治家のどちらが、まともで正常なのでしょうか?賢明な市民の皆さんには容易にお分かりの通り、山梨県及び静岡県の政治家がまともで、他方、我が福山の政治家が異常・非常識であると確信致します。
(エ)そこで、市民の皆さん、我々市民、福山政治の主役である市民一人一人がいよいよ本気になって、我らが大好きな福山の政治をまともな、正常な、常識のあるものへと変えませんか?そうでなくても福山市民は過去から現在に至るまで長年、「言論の自由」を奪われています。福山市民としての名誉と誇りとプライドにかけ、本気になって、早い時期に福山政治を正常なものへと変えましょう。
(オ)そのためには、我々市民は、今から、①3年後の市長選挙及び市議会議員選挙、②2年後の県会議員選挙を睨んで、今度こそ福山を正常な街へと変えてくれる人材を担ぎ、当選させる必要があります。その一環として、貴方も、貴方が、3年後の市議会議員選挙に立候補してくれることが重要です。もし貴方が立候補できないのであれば、貴方の代わりに、親戚、近所、知人・友人等の中から福山改革にガッツ・熱意・正義のある人材を担ぎ出して欲しい。必ずや存在している筈であります。
というものでありました。
(3)最後に上記記事について小生(福山維新の会代表)コメントを以下に紹介させて頂きますと、それは産経新聞同様、「我が福山維新の会も、市民から「あって良かった」と言われるような存在を目指したい」。
というものであります。(以上です)
