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昨日(3/16)は59日目としての街頭演説等を行ないました。さて、本日は「権利と義務」の問題について皆さんと少しだけ考えてみましょう。「権利と義務」の問題を持ち出すと「何か頭の痛くなるようなテーマだな」と感じられる方もおられるかもしれません。一方、小生とて本件テーマに関して勿論、専門家ではありませんので、深くは探求できません。さりとて、昨今、この「権利と義務」に関して考えさせられる場面・課題が多いように感じています。具体的には、「権利は要求するが、果たしてどの程度、義務が履行されているのだろうか」との素朴な疑問を随所に感じます。皆さんも恐らく同感されているところでしょう。国内外(例えば、中国の自己勝手な経済・軍事活動等)に「権利と義務」の問題点が満ち溢れており、身近には福山市の行政に多大な義務の履行問題を感じます。すなわち、行政は口・文言では美辞麗句を並べますが、実態は、「癒着・談合・馴合い」に基づく「自分達の利権の獲得・利益の追求」にのみ走り、高額納税者たる市民の為の民主政治はなされておらず、義務が履行されていない(アベコベに「ヤミ専従」に見られるような多大の不正・不公平が充満している)ということであります。これをいみじくも証明したのが大阪市役所での大改革であります。大阪市においては、昨今、①現業部門の民営化(市職員を4年で半減)、②バス運転手年収4割削減、③職労事務所の市役所からの追放、④「大阪交通労働組合」の違法投票依頼摘発、⑤業務用メールを活用した市長選動員連絡に関する疑惑のキャッチ⑥大阪市職員コネ採用摘発等、大々的に改革が進められております。これらが大阪で出来ていながら、何故、福山で出来ないか?それは、福山が改革市長ではないからでしょう。最後の結論はまた、「落下傘市長の擁立」が是非必要との話になりました。余談ですが、「義務の履行」復活に関しては「教育問題」の重要性に返りますね、戦後、米国の占領政策による「教育勅語」等の廃止等の爪跡・影響は甚大なものがあると思われます。福山で「鞆の浦」「福山城」等の伝統・文化の継承が必要なように、古来の日本教育(義務の履行等)の素晴らしさの復活が現在の閉塞社会においては殊更、重要と思われますが、皆さんの御意見は如何でしょうか?