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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。29.1.23 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:①「福山所在のマスコミは市民をつんぼさじき【聾桟敷】にしていないか?」→②「マスコミは行政と癒着し、行政情報を垂れ流すだけ」→③「マスコミの矜持(ペンは剣よりも強し)はどこに消え失せたのか?」→④「マスコミと行政・市議会が結託して福山市をダメな街にした」→⑤「市民を「眠れる三猿」(見ざる、言わざる、聞かざる)と化したマスコミの責任は重い」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。さて今回のテーマは「福山所在のマスコミは市民をつんぼさじき【聾桟敷】にしていないか?」というものであります。以下に本件テーマの背景、小生の考え方等を皆様に御紹介させて頂きますが、本件はある意味で全国各地共通のテーマと確信致します。皆様には引き続き貴重な御意見等を頂ければと考えます。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論について
(ア)「全般」について
皆さん先刻御承知の通りですが、吉田兼好(兼好法師)の著書に「徒然
草」があります。この書の中で有名な文章が「徒然なるままに、日暮らし
硯(すずり)に向かいて、心に映りゆく由無し事をそこはかとなく書きつ
くれば、怪しうこそ物狂おしけれ」というものであります。老婆心ながら
意訳を加えさせて頂きますと、それは「なんとなく戯れに一日硯に向かっ
て、心に浮かんだ事をとりとめもなく書き始めたら、まるで何かに憑かれ
たように筆が止まらない」というものであります。ところで我が福山市に
おいては枝広氏が昨年8月に新しく市長に就任され新規に活動を開始さ
れておりますがその成果は今後に委ねられ、他方、「相乗り(解放同盟及
び市職労等を含めた」体制」の枝広市長にはどこまで期待できるのかとの
大なる疑問・危惧が残る政治情勢にあります。このような現状の中で我が
福山市は日本で最低の政治・行政(①同和政治の継続、②極端な安心・安全ボケ、③最低の学校教育、④最低の選挙投票率、⑤最低の自衛隊協力度等)が続き、市民は白け切って「政治無関心」となり、もって「暗くて、元気が無くて、鬱陶しい街・福山」を続けております。誰に責任があるのか等を上記「徒然なるままに」考えてみますと、第一義的には行政及び市議会に責任がありますものの、一方でマスコミの責任も極めて大なるものがあると思料されますところ、以下に私の所見を皆様に御紹介させて頂きます。
(イ)「①福山所在のマスコミは市民をつんぼさじき【聾桟敷】にしていないか?→②マスコミは行政と癒着し、行政情報を垂れ流すだけ」について
福山所在のマスコミは行政を極端に恐れ、行政から首根っこを押さえ付けられ、もって福山改革にペンで尽力・貢献しようとの熱い思い・精神は微塵にも感じられません。本来であればマスコミは熱き血潮に燃えて、全国で最低である我が市の「癌・癌細胞」(上記の「同和政治の継続」等)を抉り(えぐり)出し、市民に情報提供することで市民の改革心に火を付け、もって福山改革の先陣を果たすべき地位・役割を有している筈であります。ところが現状のマスコミは行政と癒着・馴れ合いし、行政情報を垂れ流すだけであって、そこには同行政の課題紹介やコメント陳述、或いは有識者の見解紹介等は皆無同然であり、市民はつんぼさじき【聾桟敷】にされております。
(ウ)「③マスコミの矜持(ペンは剣よりも強し)はどこに消え失せたのか?」について
マスコミの誇り(矜持)は改革精神に燃えたぎり、「ペンは剣よりも強
し」として、堂々と正論を展開し市民・国民に訴え啓蒙することにあると私は考えます。マスコミの矜持はどこに消え失せたのでしょうか?
(エ)「④「マスコミと行政・市議会が結託して福山市をダメな街にした」→
⑤「市民を「眠れる三猿」(見ざる、言わざる、聞かざる)と化したマ
スコミの責任は重い」について
紙面の都合上、細部の記述を省略します。
(4)あとがき
マスコミには原点に返り、名誉・誇り・プライドを取り戻して正論を堂々
と展開し、もって福山市民を啓蒙・善導すべく猛省を促すものであります。
申し上げるまでもなく「人間は考える葦」であり、福山政治の改善・改
革を考える葦たる市民をサポートする役目がマスコミにはあろうと思料致します。然るにマスコミは「長きものに巻かれて」、グーも出ないのは余りにもお粗末過ぎであります。マスコミは正論を展開することにより「眠れる三猿」(見ざる、言わざる、聞かざる)たる福山市民を啓蒙し、「考える葦」へと脱皮を図らせることが真に求められていると確信します。
(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)