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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。29.1.24 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:①「福山行政に関する夜話(夜話とは夜間にする談話であり、 気軽に聞ける話のこと)」→②「福山行政の最重要課題の一つは「真心」の欠如」→③「各種の計画・文書は単なるコピー・作文であり、美辞麗句の塊」→④「如何にして達成・実現するかという「魂」が欠落している」→⑤「具体的にはP(計画)・D(実行)・C(分析・評価)・A(見直し)中、C(分析・評価)が、お粗末だから」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。さて今回のテーマは「福山行政の最重要課題の一つは「真心」の欠如」というものであります。以下に本件テーマの背景、小生の考え方等を皆様に御紹介させて頂きます。本件テーマは元来、誰が考えてみても硬い話ではありますものの、今回はこれを夜話(夜話とは夜間にする談話であり、 気軽に聞ける話のこと)として気軽にお読み頂き、他方で「酒の肴」等として家族、友人等との団らんの仲間に入れて頂ければと考える次第であります。最後に皆様からは、①「福山維新の会」及び「石岡久彌」FBに対して、いつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論(「福山行政の最重要課題の一つは「真心」の欠如」)について
(ア)「全般」について
私は昨年5/1,市議になって以来、①市議会における定例会及び各種
委員会に出席しての質疑応答や、②各種行政文書等の閲覧や、③国内先進自治体の行政視察等を通じて痛感しております事項の一つに、我が福山行政の本件「「真心」の欠如」があります。行政の作成している各種基本計画等は項目立てもしっかりし、分厚くて一見立派に見えますが、首を突っ込んで読み始めますと、どこかで見た・聞いたような、どこにも存在するような代物と気付き出します。すなわち、国や県や他の市町等が作成し、それがマスコミで報道され、そのコピー版のように感じます。そこには福山らしさがあるのだろうか、すなわち、福山の特性・特質、強み・弱み、過去の成果・分析評価等が真に考慮・反映されているのだろうかとの大なる疑義が生じて来ます。私は何を言いたいのか?私が言いたいことは、「我が福山行政には「「真心」が籠っているのか」という点であります。
(イ)「「各種の計画・文書は単なるコピー・作文であり、美辞麗句の塊」→「如何にして達成・実現するかという「魂」が欠落している」」について
ではここで「福山行政の「真心」の欠如」について具体的な例を紹介してみます。まず初めに1/22付の小生FB記事「断じて許せない、福山行政の無責任な津波対策を」の中で述べました通り、
(a)避難の前提として、地震・津波による予想被害(例えば、橋、堤防、
堰等が破壊されるであろうその被害程度)を見積もっていない点、
(b)(a)に基づく住民の避難経路を予測していない点、
(c)適切な避難場所(避難ビルを含め)の呈示が不十分な点(例えば 競馬場跡地を有効・大規模な避難場所として考えていない)、
(d)現在行政が提示している避難場所の具体的な収容人数等が明確に されていない点等
を指摘でき、福山市地域防災計画が単なるコピー・作文であり、美辞麗
句の塊、「絵に描いた餅」であって、「真心」「魂」が欠如している旨を
言わざるを得ません。
次は昨年11/25付の小生FB記事「人は何のために生きているのでしょうか?」の中で紹介しました「福山市議会の総合計画基本構想審査特別委員会(11/17)」における私の発言内容が「「真心」の欠如」に直接係る例であります。すなわち私は以下の発言を行政に対して行い、もって議決反対をしました(我が市議会で日本共産党以外の議員が議決反対を表明する事態は誠に異例)が、その発言趣旨・要点は次のものであります。
「本件福山市総合計画基本構想は構想推進・実現のための方策・対策が欠如し、致命的、バイタルな欠陥を有して、「仏作って魂入れず」の単なる「作文」となっている。そこで本構想の目的の中に「市民の言論の自由を奪回させることにより」旨の文章を追加し、もって「(市民)だれもが心豊かにいきいきと暮らせ、夢と希望溢れる社会を実現する」旨へと修正すべきである」
(ウ)「具体的にはP(計画)・D(実行)・C(分析・評価)・A(見直し)中、C(分析・評価)が、お粗末だから」について
行政は事ある度に「PDCA」サイクルを回して計画等を策定している旨の「綺麗ごと」を主張します。さはさりながら現実には「C(分析・評価)」が不十分なため、A(見直し)が適切に行われているとは決して思われず、それ故、果たしてそれが実現・実行できるのだろうかとの大なる疑念を抱くことが度々あります。
(4)あとがき
本件「福山行政の「真心」の欠如」を許したのは市議会の怠慢でありま
す。一部の議員を除き大半の議員達はこのようなことに気付くことは無く、また、考えようともしません。何故なら彼らの関心事は、①行政に対する「ごますり」と、②極端に申せば「しがらみ」選挙体制の下で「お祭りと冠婚葬祭への参加」しか興味が無いからと言っても過言ではないからであります。更に解放同盟出身議員に怯えて、「媚を売る」だけだからであります。このような議員をまともな議員へと立ちかえさせるのは、市民の①当該議員に対する直接の意見と、②市議会報告時の厳しい意見であります。とりわけ②の市議会報告(年1回、市内8ケ所で実施)時における市民の議員に対する厳しい質問・意見発表は効果抜群と思われますので、市民は積極的に参加して意見開陳されたら如何かと思料致します。議員達は市議会報告に怯えているのが現状であり、糊塗し誤魔化しするのに四苦八苦している状況にあります。
(以上です。長文・駄文を最後までお読み頂き有難うございました)