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石岡 久彌
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「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!

H。29。10。3 福山市議会議員

「福山維新の会」代表 石岡久彌

 

(1)本日のテーマ:①「私の母校たる誠之館高校柔道部OB会への参加(柔道着を着て)」→②「柔道の話題に絞った私の自己紹介」→③「胸に「必勝」と刺繍した私の柔道着スタイルは単なる見せ掛け(スタンド・プレイ)ではない」→④「市議としての私の精神的支柱は、自衛隊出身と柔道4段にある」→⑤「柔道で勝つために、創意工夫と努力の重要性を学んだ」

 

(2)本論(「胸に「必勝」と刺繍した私の柔道着スタイルは単なる見せ掛け(スタンド・プレイ)ではない」)について

(ア)「全般」について

 (a)去る9/30、私の母校たる誠之館高校柔道部のOB会が市内で開催され、私は柔道着を着て約20年振りに参加しました。20年前は実は「豚柔会」という名称で、主として私の直近の先輩・同期及び後輩で構成されていました。が、今回の会は私が最年長、最も若い人は親子の違いがある程の後輩で、且つ、顔見知りはたったの一人という総員約20名の会で、初めは少々寂しさを感じた次第でありました。

    

(b)それでも、話が弾んでおりましたが、いよいよ自己紹介の場面となり、私は柔道の話題に絞り、下記のように行ないました。

 

(イ)「本論(自己紹介)」について

(a)自己紹介の要旨は次のものでありました。すなわち、

  

(b)私は昭和38年卒の石岡久彌であります。本日は柔道部の懇親会と

いうことであり、皆さんが恐らく先刻御承知の私の柔道着姿で参加しました。持ち時間は5分以内ということでありますので、この時間に収まるよう、柔道の話題に絞り自己紹介をさせて頂きます。

  

 (c)私の高校時代の柔道部同級生は約15名おり多くの仲間と柔道を楽しみ、お陰で私もレギュラーとして各種試合に参加させて頂きました。残念なことはそのうちの約1/3が既に死亡しているということであります。高校を卒業後は防衛大学校に進みましたが、そこでの専攻は「土木工学」ではありましたが、現実は「柔道部専攻」と言える程、徹底的に柔道に打ち込んだ学生生活でありました。

 

(d)「柔道部専攻」を具体的に、且つ、極端に申し上げますと、それは寝ても覚めても柔道のことしか考えていなかった4年間でした。柔道部には1年生の当初に約30名が入りましたが、最後まで残ったのは1/3でした。ちなみに入部は強制では無く、本人の自由意志でありました。

    我々同級生は入部時から、監督・上級生に「お前達は柔道が弱いから鍛えてやる」として目を付けられ、その結果、4年間を通して外出・外泊は他の一般学生の半分に制限され、土・日・祭日の外出・外泊の日ともなれば校内の体育館及び道場で鍛えられました。しかしながら私は近い将来、23歳で部下を約30名持つ小隊長の身になることを考えてこの試練に耐えて来ました。 

 

(e)私は現在、市議会議員として、言うべき正論を一匹オオカミとして孤軍奮闘の中で、市長及び市議会議長に堂々と述べております(同和政治の早期撤廃等について)。その背景として「市議としての私の精神的支柱は、自衛隊出身と柔道4段にある」からであります。

 

(f)他方で私は、このように胸に「必勝」と刺繍した柔道着を着込んだスタイルで、街中を自転車で、「福山維新の会」の「のぼり」をたなびかせながら走っておりますが、それは単なる見せ掛け(スタンド・プレイ)(ジェスチャー)ではありません。柔道4段という面子で、腐り切った福山行政及び市議会の改革を図らんとする強い意志を「必勝」の刺繍で表現したものであります。

  というものでありました。

 

(ウ)その他:「柔道で勝つために、創意工夫と努力の重要性を学んだ」について

  (a)次に余談となりますが、私は柔道を通じて「創意工夫と努力の重要

性」を学びました。創意工夫とは柔道の本髄が将に「柔よく剛を制す」にありますように、小さい・非力な者が創意を尽くして自己の強みを発揮し、もって強い相手に果敢に立ち向かって破ることにあります。私の場合には相当鍛えましたが足腰がそれ程強くならず、そこで自分の強みである「体の柔らかさ」を武器として寝技に注力し、「石岡流」寝技を習得したと自負致しております(見苦しかったら、どうぞ、御容赦下さい)。

 

(3)あとがき

防衛大学校柔道部の顧問は、故・田中教授(心理学教授)でありました。そして我々柔道部員に対する同教授の教え(名言)は、「黄菊、白菊、その外の名は無くもがな」というものでありました。この教えの意味は「黄菊を勉強に例えるならば、白菊は柔道であり、それ故、柔道部員は、他のことを忘れて、黄菊及び白菊の追求にまい進して欲しい」というものでありました。この教えに心酔した私は彼女を作らず(本当は、もてなかったが故に彼女ができなかった)の学生時代でありました。

 

長文の駄文を最後までお読み頂き有難うございました。(終わり)

 

 

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