| 01 | 2026/02 | 03 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.10.5 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:①「角を矯(た)めて牛を殺す勿(なか)れ」→②「福山行政はこの「本末転倒」(わずかな欠点を直そうとして、かえって全体を「だめ」にしてしまう)が何故「愚(ぐ)」と分からないのか」→③「福山行政は本当は分かっているが、解放同盟が怖くて「ビビリ」、同和政治を続けている」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。昨日に引き続いて記事を投稿致しますが、本日のテーマは「角を矯めて牛を殺す勿れ」であります。去る10/1付の小生記事において「石岡議員は公約に基づき初めて「同和政治の撤廃」を市議会において市長に堂々と、声高らかに、解放同盟を恐れることなく、要求・提言致しました」旨を皆様に御報告させて頂きました。その際、理事者が「今後も一般同和施策を続ける」旨答えたため、私は「とんでもない」として「切り札」の本件「角を矯めて牛を殺す勿れ」を強調しました。そこで本日は、この格言に基づき私の「同和政治の撤廃」に関する所信を以下に述べさせて頂きます。最後に皆様からはいつも「いいね」「コメント」等を沢山賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論(角を矯めて牛を殺す勿れ)
(ア)全般
「角を矯めて牛を殺す」という本来の意味は、曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことを言う。
(イ)我が福山において「角を矯めて牛を殺す」とは、どういうことのか
それは行政が一部の市民による人権侵害(インターネット上の差別記載等)を止めさせようとして、「人権」「差別」政策を強力に推し進めていること(角を矯める)が、大半の市民に以前の解放同盟による暴行・暴言・恫喝等を思い出させ、もって一般市民を「アベコベ」に委縮させ言論の自由を奪うことになり、結果として多くの善良な福山一般市民の心を殺す(牛を殺す)ことを意味する。
(ウ)何故、「角を矯めて牛を殺す」ことが福山で生じているのか
それは行政が解放同盟に「ビビリ」、極端に恐れて「人権」「差別」政治
を相も変わらず断行しているからである。他方で市議会及び圧倒的多数
の市議会議員が解放同盟出身議員に「ビビリ」、行政に「同和政治の撤
廃」を迫り切らない・決断させ切らないからである。
(エ)では、どうしたら「角を矯めて牛を殺す」ことが無くなるのだろうか
その答えは行政が過去の亡霊たる「解放同盟」を恐れることを止め、他方で「市民のための政治奪回」を目指し、常識・良識をもって「人権」「人権」「差別」「差別」という施策を早期に撤廃することに尽きる。一方、市議会は解放同盟出身議員を極端に恐れることを「恥じて」決別し、もって行政の「同和政治撤廃」を後押しすることである。
(4)あとがき
「強きをくじき弱きを助ける(必殺仕置き人)」という、日本古来の素晴らしい格言・正義感があります。しかるに我が福山の行政及び市議会はこれとは全く逆に、「強き(解放同盟)を助け弱き(一般市民)をくじく」ことをやっています。一般市民のだれがどこから見ても異常・異様であります。他方、我が福山市は備後圏域のリーダー・中核として近隣市町を取り纏め備後圏域全体の発展に尽力する旨を枝広市長も表明していますが、近隣市町は福山を利用するだけ利用するものの、腹の中では決して我が福山を尊敬することはなく、逆に同和政治の撤廃さえできない福山を軽蔑しているものと確信致します。その最も分かり易い例が、福山のすぐ北の府中市であります。府中市は備後地域で同和の発祥の地であり巣窟であった場所でありますが、今から10数年前、当時、伊藤市長の時代に市議会の後押しを受けて同和政治を見事撤廃しました。その結果、今では解放同盟出身議員は1名もいない状況であります。「同和政治の撤廃」を一時も早く達成し、まともな・正常な、尊敬される街・福山の奪回が必須であります。
(以上です)
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.10.4 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:「福山市議会議員の血を変えない限り(次の選挙で議員を大幅に入れ替えない限り)、いつまで経っても福山は変えれない・変わらない」→「大半の現職議員には正義感も、倫理観も、高邁な発想・理念も、何もない」→「あるのは欲の突っ張った自己の利益追求だけであり、他方で、貧困な発想と卑劣な振る舞いだけである」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。昨日に引き続いて記事を投稿致しますが、本日のテーマは「福山市議会議員の大幅入れ替えの必要性・重要性」に関してであります。小生は先週末まで約2週間続いた我が市議会の定例会及び委員会におきまして異様な・異常な雰囲気を実感・実体験致しました。この事態はもはや放置できないとして、現職の市議会議員たる私が本問題点を情報公開し、もって今から約3年半後を見据えた次回の市議会議員選挙での議員の大幅な入れ替えを提唱するものであります。本件は全国皆様にある意味で共通の問題・課題とも思われますので「他山の石」ともなれば幸甚であります。最後に皆様からはいつも「いいね」「コメント」等を賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論(福山市議会議員の血を変えない限り(次の選挙で議員を大幅に入
れ替えない限り)、いつまで経っても福山は変えれない・変わらな
い)
(ア)全般
先日(10/1)の小生記事において紹介致しましたように、福山政
治は狂っております。再現致しますと、解放同盟出身議員が議会におい
て言いたい放題・やりたい放題等を繰り返していますが、私を除く他の
議員は彼に「ビビリ」、「注意をしない・できない」どころか、アベコベ
に彼に「媚を売る」始末であります。他方、執行部・行政側は同議員か
ら「チンタラチンタラ仕事をするな」との暴言を吐かれて「タジタジ」
であり、これで枝広新体制はまともな仕事・行政ができるのでしょう
か?以下に現職市議会議員の実情を皆様に御紹介し、もって福山市議会
議員の血を変えない限り、いつまで経っても福山は変えれない・変わら
ない旨を訴えるものであります。
(イ)「大半の現職議員には正義感も、倫理観も、高邁な発想・理念も、何もない」について
1つの実例を以下に紹介致します。先日、上記の解放同盟出身議員が 某委員会席上において私の後方で隣の議員との大声による私語を止めず、そこで私が溜まりかねて後ろを振り返り、「うるさくて(議事が)聞こえない。話をするのであれば、外へ出てやってくれ」と、大声で発しました。腹に据えかねた私は正面に向き直り、「議長(委員長)!!大きな声で私語する議員に、外へ出てしゃべるよう言って欲しい」旨の抗議を致しました。議長(委員長)はこれに対して、私が言うのは尤もだとの顔付きをしながらも同議員に対して何も言いませんでした。それどころか他の某・一般議員が、私の解放同盟出身議員に対する先程の抗議中、その解放同盟議員の肩を持ち・同調して、私に何かの苦情を発しましたので、「うるさい」と言ってその議員を睨みつけ沈黙させました。他方、その他の議員は私が正論で抗議したにも拘わらず、解放同盟出身議員に「ビビリ」、何も発せず沈黙のままでありました。このように大半の議員には正義感も倫理観もありません。市議会を市民の代表する場として正常な神聖な場にしようとの高邁な発想も理念も感じられません。誠にお粗末な、唖然とさせる異様・異常な福山市議会だと思いました。議員達は日頃、学校生徒については「授業中は静かに勉強するべし」旨を大にして口にしながら、市議会での自らの行動は何たる「体たらく」なのでしょか。
(ウ)「あるのは欲の突っ張った自己の利益追及だけであり、他方で、貧困な
発想と卑劣な振る舞いだけである」について
議員の考えていることは「保身と金儲け」だけ、換言しますと「欲の突
っ張った自己の利益追及」だけだと断定致します。具体的には①次期の再
選(保身)と②金儲けであります。次期の再選のために議員がやっている
活動は、①市長及び行政にゴマをすって、おこぼれ(陳情の達成)を貰い
支援・支持者に還元する、②自己の再選に邪魔となる議員(私のこと)の
足を引っ張る、③バーベキュー、グランド・ゴルフ、旅行会、議会報告会
等を企画・開催し支持者の拡大等を図るであり、そこには「とんでもない」
我が福山全体を抜本的に改革・改善しようとの発想も熱意も能力もなく、
あるのは貧困な発想と卑劣な振る舞いだけであると確信致します。
(4)あとがき
市民の皆さん、今から約3年半後を見据えて次回の市議会議員選挙では大幅に議員を入れ替えしませんか。枝広市長の目下の言葉は前向きですが、「相乗り選挙」の弊害が少しずつ見え始めております。ですから市議会をまともで・正常なものとしなければ、我が福山は一向に良くなりません。
(以上です)
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.10.3 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:「福山市の中学生は全国学力テストで広島県内22/23位であり、誠に恥ずかしく情けない結果」→「市教育委員会並びに教師の怠慢の証」→「成績上位1/3の生徒氏名を廊下等に張り出させるのも有効な対策だと思いますが如何でしょうか?」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。一昨日に引き続いて記事を投稿致します。本日のテーマは全国学力テスト結果についてでありますが、我が福山市の中学生の上記結果は余りにもお粗末過ぎます。学校が家庭と連携しながら生徒の学力を向上させてやらないと、「いじけた」「自信の無い」「自己否定」の生徒を造ってしまいます。小生の考えを以下の如く読者の皆様に御紹介させて頂きますが、このテーマは全国共通と考えますので「他山の石」ともなれば幸甚であります。最後に皆様からはいつも「いいね」「コメント」等を賜り衷心より御礼申し上げます。
(3)本論(全国学力テスト結果について)
(ア)全般
先日、文部科学省は本年度の全国学力テスト(小学6年及び中学3年全員を対象)結果を公表しました。この発表によりますと、我が福山市の、①小学生は全国平均よりも高いものの県平均よりわずかに低い、②中学生は全国平均及び県平均よりも低く、且つ県内22/23位(昨年の23/23位よりも1番だけUP)となっており、とりわけ中学生の学力が大問題と言えます。市教育委員会は猛省の下、家庭と密接に連携しながら中学生の学力を真剣・真摯に向上させることが急務と考えます。
(イ)中学生は何が原因で学力が低いのか
上記の如く小学生はそれなりの成績を出しており、それ故福山全体(社会)に問題があるとは言い切れません。しかしながら中学生・中学校には決して目をつむることができない・許されない大問題があり、その学力の低さの原因は①学校、②家庭にあることは間違いないと思われます。このうち家庭の問題としては、①学習環境及び学習習慣、とりわけ②生徒のスマホ等のやり過ぎにあろうと思われます。他方、学校の問題としては、①教員の資質・熱意、生徒指導方法、生徒指導力、②市教育委員会の教員採用、教員指導、教員評価等にあろうと思われます。
(ウ)中学生の学力が低い最大の原因は何か
その原因は、①中学生が勉強することの意義・重要性を十二分に理解・承知していない、②基本・基礎の重要性を軽視し・忘れての学校教育、にあろうと思われます。まず、①勉強することの意義・重要性については、教員が十二分に分かっていない・理解していないのではと危惧しております。教員の採用段階から問題があるのではと思われます。次に②基本・基礎の重要性については、「頭は鍛える程・使う程、良くなる」「鉄は熱いうちに打て」をベースに、徹底して繰り返しの基本・基礎学習をさせていないことが原因と考えます。ちなみに我が福山では目下、「福山100NEN教育」と称して「変化の激しい社会をたくましく生きる力を “小中一貫教育”及び “ESD(持続発展教育)”により生徒に植え付けよう」としておりますが、「美辞麗句」の「猫だまし」により本質(基本・基礎教育)を忘れ・避けた教育をしようとしていませんか旨の大なる疑問を抱かせる次第であります。
(エ)では、どうしたら中学生の学力を向上させることができるのか
これに対する答えは、①教師が中学生に勉強することの意義・重要性を十二分に承知・認識させること、②教育委員会は教師並びに中学生に基本・基礎を学び・身に付けることの重要性を再認識させること、③教育委員会は中学生及び教師・保護者に勉強の動機(モチベーション)を付与する為、「成績が上位1/3の生徒氏名を廊下等に張り出させる」こと、であろうと考えます。ちなみに私が先般まで過去8年間スタッフしていた公文教室では、①生徒に勉強することの重要性をしきりに説き、②「自学自習」の教育理念の下、徹底した基本・基礎学習のため多くの宿題を反復して生徒に課して個別指導し、③成績優秀者氏名を教室内に張出し、また、同優秀生徒を大会等の場において大々的に表彰しておりました。
(4)あとがき
上記の通り、我が福山市の中学生は全国学力テストで広島県内22/23位であり、これは誰がどこから見ても市教育委員会並びに教師の怠慢であり、申し開きは決してできないものであります。その理由は、我が小学生も成績が悪いのであれば社会及び家庭としての問題提起もできますが、小学生の成績は決して悪くなく、ではどうして中学生になると成績が下がるのでしょうか旨の疑問が涌き出て参るからであります。福山の中学校では他の地域の中学校に比べて断トツに非行・暴行等が多くて授業にならず、他方、教師はその対応等で授業に専念できない等の事情があるのであれば中学生の成績不良は止むを得ない点があるとして情状酌量できますが現実はそうではありません。繰り返しとなりますが教育委員会及び教師の怠慢以外の何ものでもありません。万一、適任の教師が不在と言うのであれば、自衛隊定年退職者を採用すればいとも簡単に対応・解決できます。何故なら自衛隊退職者は若年定年の上に条件の良い再就職が容易では無く(防衛省が許認可権を有していないが故に天下り先等が皆無に近く)、多くの優秀な・やる気の溢れた人材が無為の生活を送っているからであります。重ねて市教育委員会及び教師の猛省を促し、早期に小生提案等を具現化して欲しいと念願するものであります。なお、私は近々、中学校長等と面談致し、その結果も踏まえて12月市議会で教育委員会に対して厳しく本件解決を迫る所存であります。
(以上です)
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.9.22 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:「「石岡ひさや」議員の福山市議会での一般質問を多くのFB仲間に傍聴して欲しい」
(2)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。皆様方からは、常日頃、①「福山維新の会」、②「石岡久彌」に対して「いいね」「コメント」「激励」等を沢山賜りまして、本当に有難う御座います。引き続き宜しくお願い致します。さて、今般、我が9月福山市議会における議事日程が決定され、この中で私は9.27(火)16:30~17:00頃に30分間、一般質問ができることになりました。私の質問は他の多くの議員とは全く異なり、只単に、①「お祭り」的に執行部に対して質問をする(質問のための質問)、②執行部と馴れ合いして「筋書き」通りに質問をする(学芸会)のでは無くて、市民目線に立って市民のための福山政治・行政を奪回・樹立する・させるべく厳しく質問をするものであります。つきましては多くのFB仲間に私の本件質問を傍聴して頂けたら幸甚と念願している次第でありますので、以下に一般質問時の要点を紹介させて頂きます。宜しくお願い致します。
(3)本論(一般質問の要点)
ア 全般
先般の我が福山市長選の投票率はたったの約36%であり全国最低レ
ベルでありました。福山周辺の市における投票率が軒並み約70%であ
ることを鑑みた時、その1/2である福山の投票率は誠に嘆かわしく、
恥ずかしい思いで一杯であります。そこで本日は、「先般の市長選挙の
投票率について」と題して、①何故、低かったのか、②投票率向上の必
要性はないのか、③今後、いかにしたら、投票率を向上させることがで
きるのか、に絞って質問・論議をさせて頂きます。
イ 「何故、低かったのか」について
結論から申しますと、私はこの投票率の低さは単に「福山市民の民度
が低い」では説明できず、「福山市民は心が病んでいる」のではと考え
る次第であります。心が病み、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)と
なって「無気力」となり、もって「極端な引き籠り症状」こそが投票率
の低い原因ではないかと考える次第であります。「心が病んでいる」旨
を示唆する事例として村上候補の「長いものに巻かれて、自分の言葉を
殺さないと生きていけない福山市は異常な事態だ」を挙げることができ
ます。
では「何故、市民は心が病んでいるのか」についての私の考え・原因
は「鬱陶しい」街・福山、「重しにより抑圧された」街・福山にあると
思っております。街中、「人権」「人権」「差別」「差別」と、この上ない
「鬱陶しさ」に我が街は包まれていませんか?市民が言いたいことを口
に出せず、「誰かが怖い」「何かが怖い」として「委縮」し「閉塞感」が
満ち溢れおりませんか?これが民主主義なのでしょうか?市長は私の
見解をどのように思われますか?御答弁下さい。
ウ 「投票率向上の必要性はないのか」について
私は本件必要性について、次の3つの理由から「ある」と考えます。
① 1つ目が、「市民に福山市民としての自信と誇りと連帯を取り戻さ
せ、もって明るく・元気な福山の回復・創生に繋がるから」、②2つ目
が、「投票率が向上すれば福山以外の他の地域に住む人々が福山を見直
し、福山へ来てくれ・Uターンしてくれ、もって経済等の活性化に
繋がるから」、③3つ目が、「国や県との連携及び連携中枢都市圏構想
の推進のための底力となるから」というものであります。市長は私の
見解をどのように思われますか?御答弁下さい。
エ 「今後、いかにしたら、投票率を向上させることができるのか」に
ついて
投票率向上施策は、(1)市民個人・個人の努力、(2)社会・コ
ミュニティーの努力、(3)行政の努力、(4)市議会の努力、(5)マスコミの努力等、様々なものが考えられますが、そうは言っても基本は行政の努力だと思います。そして行政の努力の中には、(1)市民の心の痛みを直接的に解消させる努力、(2)市の活性化等により結果として市民の心の痛みを解消させる努力等があろうと思われますが、根本は(1)市民の心の痛みを直接的に解消させる努力であろうと確信致します。そこで市長、今後、如何にしたら投票率を向上させることができるのでしょうか、貴方の具体策を御呈示下さい。私の具体策は「同和政治の早期撤廃」に尽きるというものであります。市長、一時も早く同和政治を撤廃して市民が自由にものが言え、長いものに巻かれなくて済む福山を創生しましょう。市長、貴方は選挙期間中、「市民に寄り添う」「攻めの行政」「改革、発展」を市民に訴え続けられたではありませんか。約束をきちっと実行して欲しい。
(4)あとがき
私は前回の6月市議会時、同様、今回の来るべき9月市議会においても、
「正面を見据えて」「堂々と」「大きな声で」「胸を張り」、質問を踏まえた中で、自己の意見を市長に力強く提言致します。他方で昨日から9月市議会が始まりましたが、多くの議員は相も変わらず、「お祭り」「学芸会」的な「つまらない」質問を行っております。そこには我が福山を良くしようとの熱意・発想が微塵にも感じられず、お粗末過ぎます。私の今回の質問時は、結論として「市長、我が福山を日本一の街にするため、同和政治の早期撤廃をやりましょう」を提言しますので、ヤジは必至(前回もヤジがあり、私は「外野はうるさい」と怒鳴りました)と思われます。ヤジには決して負けず、否、撃破して自己の主張を貫きますので、傍聴を重ねて宜しくお願い申し上げます。
長文の駄文を最後までお読み頂き深謝申し上げます。
以上です。
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。28.8.29 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:(ア)「福山市長選が終了。村上候補は大奮闘。それにしても低過ぎる投票率」
(イ)「何故、今回も投票率が低かったのか」
(ウ)「福山市民は「民度が低い」では説明できず、心が痛んで「三猿」となっている」
(エ)「では、どうしたら心の痛みを排除し、もって投票率を挙げることができるのか。その答えは「同和政治の撤廃」にある」
(2) 挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。皆様方からは常日頃、「福
山維新の会」及び「石岡久彌」に対して「いいね」「コメント」「激励」等を沢山賜りまして、本当に有難う御座います。引き続き宜しくお願い申し上げます。ところで昨日は我が福山市長選の投開票が行われ、結果として枝広候補が勝利し村上候補が惜しくも僅差で敗れました。本選挙を振り返り最大の課題は「低過ぎる投票率」にあると確信しております。そこで以下の記事におきましてはこの「投票率の低さ」に焦点を当てて私の見解を皆様に紹介させて頂きます。全国の読者の皆様にも宜しく本件記事を御一読頂けましたら幸甚であります。宜しくお願い致します。
(3)本論
(ア)「福山市長選が終了。村上候補は大奮闘。それにしても低過ぎる投票率」について
今回の投票率は約36%であり、4年前の市長選に比べて約14%上ま
りました。しかしながら4年前の投票率は約23%であり全国最低レベルでありました。我が市周辺の最近の投票率を観察してみますと、①府中市が約70%、②尾道市が約64%、③三原市が約66%、④笠岡市が約67%であり、上記我が市の約36%は、①②③④市の約半分であり、以下に低い数字かが読者の皆様には容易にお分かり頂けるものと思います。そこで以下にはこの低い投票率について所見を述べさせて頂きます。
(イ)「何故、今回も投票率が低いのか」について
まず、村上候補は良く頑張ったと深く敬意を表します。
次に本題の投票率が低かった要因としては第1点目は、村上候補の弱腰(弱気)にあったと思われます。すなわち、村上候補は枝広陣営に対して「しがらみ選挙」旨の批判を繰り返しながらも、もう一方で、自らもこの「しがらみ」陣営(市役所職員等)から票を貰おうとして強気の主張をしませんでした。
具体的には、市役所職員の給与等カットがたったの2%(しかも一律ではなく、業務の見直し、手当の見直し、外部委託等による)(村上候補本人が給与の3割カット、退職金の8割カットを公約しているのだから、橋下・元大阪市長を見習って最小限でも市役所職員給与の10%カットを主張して欲しかった)という主張でした。
弱腰(弱気)の2つ目は、「同和政治の撤廃」を強く言いだしきれなかったことであります。村上候補は、新聞の取材の中では、「長いものに巻かれて、自分の言葉を殺さないと生きていけない福山市は、異常な事態だ」と述べていますが、このことを堂々と「ちらし」等にも記載し、街頭演説でも口にして、もって「同和政治の撤廃」を強調すべきであったと悔やまれます。
弱腰(弱気)の3つ目は、枝広候補の「乗合い」「しがらみ」選挙の弱点(私の過去の記事を御参照下さい)を鋭く・解かり易く突いた選挙運動をしていなかった点を指摘できます。
投票率が低かった要因としての第2点目は市民の問題であり、次の(ウ)で述べます。
(ウ)「福山市民は民度が低いでは説明できず、心が痛んで三猿となっている」について
投票率が低いのは、「市民が白け切って「政治無関心」だからというのが私の従来からの見解でありました。すなわち、福山市民は、①天候、気象、災害の少なさ、その他環境等に恵まれた中、②とんでもない政治・行政への「あきらめ」「信頼感の喪失」、③誰が市長になっても変わらないという失望感等により、市民は白け切り、政治無関心になってしまったというものでありました。
さはさりながら今回の12年ぶりの新人対決は、①「乗合い選挙」(組織選挙)対「無党派選挙(浮動票選挙)」、②「羽田政治の継続」対「大改革」等の違いがあり、それなりに新鮮味があったと思われながら、蓋を開けてみると上記の通り、その投票率は依然、極めて低いものでありました。投票したい候補者がいないと言うのであれば、「白票」を投じれば良いにも関わらず,棄権するという事態は「民度が低い」というだけでは説明がつかず、そこで私は「福山市民は心が痛んでいる」のではと考える次第であります。心が痛み、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)となって、「無気力」になっているのではと危惧している次第であります。
(エ)「では、どうしたら心の痛みを排除し、もって投票率を挙げることができるのか。その答えは「同和政治の撤廃」に尽きる」について
本日は紙面の都合につき細部記述を省略させて頂きます。
(4)あとがき
長文の駄文を最後までお読み頂き深謝申し上げます。
以上です。
