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親愛なる全国の読者の皆様へ!!
令和2.2.17 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「令和2年度福山市予算について」→②「枝広市長の過去約4年間の成果(5つの挑戦)を反映した本件予算」→③「さりながら何かがもの足りない」→④「その答えは我が福山を真に明るく元気な街へと改革・改善しようとする決意・気迫も事業も見当たらないから」→⑤「明るく元気な街への変革のポイントは、市民の嫌がる・忌み嫌う行政の撤廃と市民による郷土愛の高揚である」→⑥「市長以下行政は既得権と自己保身からの脱却が必須である」   

...

(2)まえがき
2/11付の中国新聞は「福山市20年度予算案」のタイトルの下、「人口減社会対策を強化」「女性活躍へ環境整備」「フレイルの予防に力」等のサブタイトルで記事を掲載しておりますところ、全国の皆さんに同解説部分並びに石岡久彌の本件予算全般に関わるコメントを以下に紹介させて頂きます。

(3)本論(解説部分)
  (ア)福山市の2020年度当初予算案は9月に任期満了を迎える枝広市長の一期目最後の編成で、これまで種をまいた事業の継続を重視した「集大成」の色合いが濃い。一方、今後の市政を方向付ける複数の戦略や計画が近くまとまるのをにらみ、「新たな都市づくり元年」の決意もにじむ。
  (イ)枝広市長は各年度の予算編成に当たり事業の実行、加速、深化をうたい、20年度は「充実」を掲げた。福山駅前再生や福山城の魅力づくり、福山北産業団地の造成再開、抜本的な浸水対策―――。就任後に打ち出した「枝広カラー」を映す多くの事業はいよいよ計画から本格実施の段階に移る。
  (ウ)今夏に市長選を控える事情もあり、新たな施策の打ち出しには物足りなさが残る。ただ、19年度に次ぐ過去2番目の規模の予算案を編成し、人口減少社会、自然災害、都市機能の強化に備える覚悟が読み取れる。その覚悟と表裏一体の大きな財政出動に対する説明責任が改めて求められる。

(4) 石岡久彌のコメント
我が福山市の2020年度(令和2年度)当初予算案は約1738億円であり前年度0.2%減でありますが、これだけの巨額な予算を編成しながら、そこにはインパクトが欠け、「暗くて・元気が無くて・鬱陶しい街」福山を市民とともに真に改革・改善し、もって明るくて元気な街へと変革するとの決意も気迫も感じさせません。その理由・原因は市長以下行政並びに市議会の既得権維持と自己保身の体質が「癌」となっているからであります。何かが怖い・誰かが怖い(同和、市職労、行政、ボス議員、共産党等が怖い)として行政・市議会並びに福山中が「長いものに巻かれて」、正論・本質・改革を大きな声で堂々と言えないという現状を打破しない限り、我が福山の行き先は明らかであり、その結末は「お化けの住む街・ゴーストタウン」にまっしぐらに進むだけと確信致します。ですから明るく元気な街への変革のポイントは、市民の嫌がる・忌み嫌う行政の改革(①同和政治の撤廃、②市職労のエコヒイキ排除等)と市民による郷土愛の高揚であり、これの成就のためには市長以下行政の既得権と自己保身からの脱却が必須であります。とりわけ「虚偽・ごまかし・大ウソのデパート」である枝広市長の罪は大なるものがあります。(以上です)

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親愛なる全国の読者の皆様へ!!
令和2.2.11 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1) 本日のテーマ:「市民の皆さんには今後、市議選にドシドシ立候補して欲しい」

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(2)まえおき
   今般、私は「石岡ひさや議員の市議会(令和元年度)質問・提言」というサブタイトルの下、チラシ「福山維新の会」市議会活動報告(令和2.2)」を作成完了しました。近いうちに業者委託により①4万枚のポスティング、②小生FB・HPへのUPを図らんとしている状況にあります。同チラシのテーマは「枝広市長の答弁は「虚偽・ごまかし・大ウソのデパートであり断じて許されない!!」というものでありますが、「あとがき」として市議会の「行政(市長)の番犬」振りを大上段に振りかぶって切り捨てておりますところ、以下、ここに特出しで全国の皆さんに御紹介させて頂きます。

(3)本論(本年度の「福山維新の会」活動報告中、「あとがき」部分)について
  令和元年も市議会の堕落・腐敗が顕著でありました。何故なら、上記の通り枝広市長は平成29年度・30年度に引き続き令和元年もまた、虚偽・誤魔化し・大ウソ答弁を繰り返しましたが、これを許しているのは実は市議会に外ならないからであります。歴代議長(小川真和議員を筆頭にして)を初め常連の腐り切った・「古ダヌキ」・腹黒い議員達は、同市長が虚偽・誤魔化し・大ウソ答弁をしていることを百も承知しておりながら、クレームを付けず、アベコベに肩を持ち、馴れ合い・癒着し、「行政(市長)の番犬」に成り下がり、もって多くの市民が嫌がる・忌み嫌う同和政治と市職労に対するエコヒイキを継続させてきました。我が福山は相も変わらず「暗くて・元気が無くて・鬱陶しい街」が続いていますが、この原因・背景として本件同和政治と市職労エコヒイキの継続が指摘でき、言論の自由が奪われた我が市は誠に寒々とした状況にあります。市民の皆さん、部落開放同盟出身議員や市職労出身議員に「ビビ」り、また行政に「ビビ」り、思考が停止し且つ言うべきことを言い切らないこれら議員達は税金泥棒以外の何者でもないと思われませんか?「腰抜け」の「我利我利猛者」の議員達の血を換える必要があります。このため市民の皆さんには今後、市議選にドシドシ立候補して欲しい。

(4)石岡久彌のコメント
私は上記の中で「市民の皆さんには今後、市議選にドシドシ立候補して欲しい」旨を要望しております。繰り返しとなりますが、現在の福山市議会の議員達は「腰抜け」の「我利我利猛者」の塊であります。そして選挙ともなりますと組織票に「おんぶに抱っこ」となった「しがらみ選挙」そのもので、当選後は同組織の利益代表にしか過ぎず、決して福山全市の課題・問題点を捕えた改革・改善を口にもしないし実行もしません。そこで市民の皆さんの中から4年後の市議選には老若男女(とりわけ見識・志が高く、ガッツのある若者)が、我が福山維新の会から多数、出馬・立候補して欲しい。他方で1ケ月半後の我が市議選では定員38名に対して現在47名が立候補する予定であり、この中に①私の息子である「石岡りゅうた」(福山維新の会の公認)と②我が会と日々の演説等を共に行なっている友達の「江坂れいり」(同未公認)の2名が含まれております。彼ら2人は我が市の改革・改善を力強く標榜・主張しております。(以上です)

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親愛なる全国の読者の皆様へ!!
令和2.2.7 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1) 本日のテーマ:「アット驚く市議会だよりへの記事掲載」

...

(2)まえおき
   私は去る1/18付の小生FB記事テーマ「行政の「番犬」に成り下がっている福山市議会」の中で、「来る2月1日発行予定の「ふくやま市議会だより」に関し、編集委員会は石岡久彌起案の定例会Q&A記事を載せない(空白)模様」である旨を全国の皆さんに御紹介致しました。が、アット驚いたことに、フタを開けて見ましたら(新聞折り込みの同だよりを見てみましたら)、私が掲載すべき旨を断固として主張して止まなかった同記事がどのような理由・経緯か皆目不明ではありますものの、堂々と載せられておりました。以下、まず記事内容を、次いで小生コメントを紹介させて頂きます。

(3) 本論(掲載記事内容)
(ア)テーマ:市長答弁は虚偽・ごまかしのデパートであり許されるのか
(イ)問 昨年の9月市議会定例会での私の質問(①同和行政一般対策(差別をするな旨の看板・広報紙・市民憲章・住民学習会等)の撤廃、②市職員労働組合とのいびつな労使関係(不信極まる選挙活動、庁舎内事務所の無償貸与等)の是正に対する市長答弁は、虚偽・ごまかしのデパートであり許されない。誠実な答弁を求める。
(ウ)答 本市における同和行政は、2005年度をもって終了している。以降は、同和問題を人権施策基本方針に基づき、解決すべき人権問題の一つとして一般対策の中で取り組んでいる。市職員が違法な選挙活動を行っている事実は承知していない。庁舎内事務所の使用は、財産管理規則に基づき適正に許可をしている。(石岡議員のコメント:本市長答弁は、虚偽・ごまかし・大ウソの塊であります。その理由については、後日、小生の作成しているチラシ(市議会活動報告 令和2年2月)の中で細部を御紹介致します)

(4) 小生コメント
私の記事テーマは、そもそも、「枝広市長は虚偽・ごまかしのデパートであり許されるのか!!」というものでありましたが、一方、熊谷編集委員長は「デパート」の表現がふさわしくないとして修文を提言してきた次第でありました。これに対して私は「本件記事テーマは先般、議長が決済した12月定例会議事録の中の表現と同様であり、整合性をとることが極めて重要である。修文は市長に対するゴマ摺り(番犬)であり、また、言論の自由を奪うものである」として断固、修文を拒否致しました。その後、どのような理由・経緯かが皆目不明ではありますが、私の強い主張が受け入れられ、記事が復活掲載という事態を迎えました。ここでこの復活に際しての私のコメントは、「記事が復活掲載されたということは、過去から続いている枝広市長答弁が如何に虚偽・ごまかしのデパートであるかの実態を市民に改めて知って頂けることで誠に意義深い」と言うものであります。他方で福山市議会は心底、腐り切っていると確信致す次第であります。約2ケ月後(4/5)には我が福山では市議選が行われますが、この選挙において行政の「番犬」に成り下がっている福山市議会の議員の血を換え(議会を食い物にし、行政と癒着・馴れ合いを繰り返す「古ダヌキ」議員を排し、他方で、高い見識と高邁な志を有した新人若者の当選により)、もって二元代表制に基づく市議会による市長・行政の監視(チェック)により上記の「虚偽・ごまかしのデパート」を改革・改善することが急務であると痛感しております(以上です)。

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親愛なる全国の読者の皆様へ!!
令和2.1.18 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1) 本日のテーマ:①「行政の「番犬」に成り下がっている福山市議会」→②「来る2月1日発行予定の「ふくやま市議会だより」において、編集委員会は石岡久彌起案の定例会Q&A記事を載せない模様」→③「私の記事テーマは、そもそも、「枝広市長は虚偽・誤魔化しのデパートであり許されるのか!!」というもの」→④「これに対して熊谷委員長は「デパート」の表現がふさわしくないとして修文を提言してきた」 →⑤「そこで私は「本件記事テーマは先般、議長が決済した議事録と同様の表現であり、整合性をとることが重要で...
ある。修文は市長に対するゴマ摺り(番犬)であり、また、言論の自由を奪うものである」として断固、修文を拒否」 →⑥「福山市議会は心底、腐り切っている。市民の皆さんには「何故、このように石岡議員の言論の自由を奪うのか」と声を挙げて欲しい」

(2)まえおき
   小生は昨今、福山駅前等の街頭において「行政の「番犬」に成り下がっている福山市議会」をテーマとして声高らかに演説をしておりますところ、以下その要点を全国の読者の皆さんに御紹介させて頂きます。なお、息子(りゅうた)と2人での演説は4ケ月を超え、更に友達である「江坂れいり」を含めての3人演説は2ケ月を過ぎ、選挙を3ケ月後に控えて目下佳境に入っており、他方で多くのFB友達・市民からは多大な応援を賜わり、ここに衷心より御礼を申し上げます。

(3)本論(街頭演説内容の要点)
(ア)市民の皆さん、お早う御座います。本日は「行政の「番犬」に成り下がっている福山市議会」というテーマでお話しをさせて頂きます。何故、このようなことを言わんとしているのかその理由は、我が市議会が狂いに狂って枝広市長以下の行政にシッポを振り、ゴマを摺り・馴れ合い・癒着し、もって市民の方を向いた市議会活動をしていないからであります。換言致しますと市議会は「行政の「番犬」に成り下がって」おり、市議会として最も重要な使命・役割である「二元代表制」(市議会議員は市長とともに市民から選ばれた市民の代表であって、市議会と市長とは対等な立場にある。それ故、市議会は行政の仕事を厳しく監視(チャック)し改善提言することが本来の役割である)を忘れ、自ら放棄しております。
(イ) 具体的には先日、来る2月1日発行予定の「ふくやま市議会だより」に関して、熊谷・同だより編集委員長との協議がありました。その要件は石岡久彌起案の定例会(去る12月)Q&A記事の修正を求めるという「行政の「番犬」そのものでありました。少々説明を加えますと、私の起案しました本件記事テーマは、そもそも、「枝広市長は虚偽・誤魔化しのデパートであり許されるのか!!」というもの」でありました。これに対して同委員長は「デパート」の表現がふさわしくないとして修文を提言してきたものであります。しかしながらそのような番犬態度に不信を抱き(市民目線ではないため)・納得が行かない私は、「本件「デパート」という表現は先般、議長が決済した12月市議会定例会議事録と同様の表現であり、整合性をとることが重要である。修文は市長に対するゴマ摺り(番犬)であり、また、言論の自由を奪うものである」として断固、修文を拒否しました。この結末は2月1日発行の同だよりには私の記事は載らないものとなることでしょう。それにつけても「福山市議会は心底、腐り切っている。市民の皆さんには「何故、このように石岡議員の言論の自由を奪うのか」と声を挙げて欲しい」と訴える次第であります。同時に今後の市議選において我が「福山維新の会」所属議員の当選増大の必要性を痛感している次第であります(以上です)。

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親愛なる全国の読者の皆様へ!!
令和2.1.1 福山市議会議員
「福山維新の会」代表 石岡久彌

(1)本日のテーマ:①「新年御挨拶」→②「石岡久彌は本年も「青春」を追い続けます」→③「この青春追求は私のモットー(理想像、座右の銘)であり、また、自戒・自分への叱咤激励であって、他人様に「おせっかい」を申すものではありません」→④「具体的には青春の姿として本年も「ブレ」ずに、「腐り切り、大ウソ付き」の福山行政及び市議会の改革・改善に尽力致します」   

...

(2)御挨拶:全国の読者の皆様、明けましておめでとうございます。輝かしい新年をお迎えになられた皆様の、素晴らしい本年を衷心より御祈念申し上げます。私の方は本早朝、朝起会及びラジオ体操に参加し、その後は美味しい「雑煮」を頂きました。さて皆様には本年も「福山維新の会」並びに「石岡久彌」及び息子の「石岡りゅうた」を宜しくお願い申し上げます。本日元旦のテーマは昨年に引き続いて「本年も「青春」を追い求めたい」というものであります。

(3)本論(本年も「青春」を追い求めたい)
(ア)「かの有名なウルマンの感動的な詩「青春とは」」について 
以下にウルマンの詩全文を紹介させて頂きます。    
「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。そのような人は神のあわれみを乞うしかない。」
(イ)小生コメント
yahooを検索してみますと、「サムエル・ウルマンによって書かれた不朽の名詩「青春の詩」は、戦後の日本人に勇気と希望を与え、高度経済成長の原動力の一つにもなったと言われています。詩の内容からして産業界のトップリーダーを始め、中高年層に愛好者が多かったようですが、「千の風になって」で話題になった作家・作曲家新井満氏の新訳の影響でしょうか、最近は若い世代の愛好者も増えてきているとのことです。」とあります。私も本件ウルマンの詩を再読して「新たな感動」をおぼえるとともに我が「福山維新の会」及び石岡久彌として新たな決意を胸に秘めている次第であります。その決意とは「腐り切った・気違い染みた」福山政治を改革するために、行政及び市議会の体質改革・改善と活性化に向けて、更に一段と尽力することであります。「敵は千万人といえども我行かん」の心意気・気概をもって奮励努力致す所存でありますので、倍旧の御声援等を宜しくお願い申し上げます。余談となりますが、私は昨年末(12/30・31)市内の主要地域において「年末の御挨拶」を街頭演説致し、本日元旦からは約10日間を掛けて連日、多くの市内地域において隈なく「新年御挨拶」を街頭演説する所存でありますので私を見掛けた際には声を掛けて頂ければ幸甚であります(以上です)。

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