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本日は「明日の福山を創る「ノーブレス・オブリージュ(高貴な人の義務)」」について述べます。
本年2月、「福山維新の会」を立ち上げて以来、市民活動(選挙活動を含む)の展開、或いは支援を自認する数多くの方々(以下、「高貴な人」と呼称致します)にお会いして来ました。
振り返って考えてみますと、誠に残念なことに、これら「高貴な人」の中に「福山を変える」ことに関して、口とは裏腹に志高く、熱く、真剣に考えている方が極めて少ないことを痛感しました。
一方で、我が会は昨日も会合を福山市民参画センターで予定通り開催致しました。
参加されたメンバーは、10/20付の「ビジネス情報誌による「福山維新の会」取材記事掲載」を背景として、一段と福山改革(落下傘市長の擁立)に燃えています。
さて、小生がこのブログで一番申し上げたいことは、標題(ノーブレス・オブリージュ)(高貴な人の義務:語源はフランス語ですが、世界で共通的な概念・表現)についてであります。
すなわち、上記の通り、「高貴な人」の中には「福山を変える」ことに関して、志・真剣度に疑問、換言すれば、「理論と精神」並びに「実行・行動力」に疑問、を抱かせる方々が多過ぎ、ノーブレス・オブリージュの真価を目下、問われていると言えます。
より分り易く申せば、これまで福山を変える活動・運動を標榜・提唱・主導してきた「高貴な人」の何が特に問題なのか、それは「理論不足・情熱不足・高邁な精神不足で、且つ、実行力の欠けた口先だけの行為」でありましょう。
更に問題なのは、それらの「高貴な人」が、福山市民を悪者にし、自分の義務・「自助努力」を棚上げしていることではないでしょうか。
すなわち、「高貴な人」は異口同音に「福山が変わらないのは福山市民が無知・無能だから。民度が低いから。」等と発言してきました。
然らば、そのような市民批判を繰り返して来た「高貴な人」が、福山行政の酷さの実態を総合的、且つ、論理的に市民に説明し、市民を啓発・啓蒙してきたのでしょうか?
小生が、それら「高貴な人」と話した限りでは、総合的・全体的な視点・視野からの説明は無く(小生が質問してみても)、個別な・断片的な・古い・感情論的・証拠不十分な説明が圧倒的でした。
これでは市民が市行政の酷さを十分知らなく政治に関心を失い、その結果市長選投票率が一層低下、福山市が更に悪化の道を辿るのは当たり前と考えられます。
市長選に何度、負ければ気が済むのでしょうか?
「負ける戦争(市長選)をしない」は、古今東西の鉄則ではないですか。
負け戦を繰り返している「高貴な人」は、実は、その負けを通じながらも結果として何らかのメリット(自己の存在感誇示等)を得ているとしか考えられません。
このような方は、正に「公害」以外の何物・何者でもないとしか言いようが無
いと思われます。
市民のミスリードは、程々にして頂きたいと思います。
ところで、我が「福山維新の会」は、過去、福山行政の酷さを以下の内容・項
目等で説明(総合的・論理的・実証的)し、改善提言してきました。
何ら御参考までにここに添付させて頂きます。
①逆差別(不公正・不公平)
②恥・不名誉(欠礼、国旗未掲揚、過度の人権擁護、伝統・文化の
破壊、偏向的な新中学生用教科書の採択、全国でも最低レベルの自衛隊協力度等)
③不健全な行財政(税金の無駄使い、予算の2倍という多額の借金の長期返済計画無し等)
④低迷した経済・雇用(福山駅南商業施設の崩壊等)
⑤不安全・不安心(安全ボケした津波対策、小中学生徒の暴力・万引き・い
じめ等多発)
最後に、優秀な・やる気のある人材が故郷福山へ帰ってこない(Uターンしない)という事態は何かおかしい・異常と皆さん、思われませんか?
そしてその原因は酷く・魅力の無い・恥不名誉の塊である福山行政の実態を承知しながら、福山行政を変え切れない(極端な場合、福山行政を口で批判しながら、あべこべに体制派を手玉にとり、裏で彼らと手を組み癒着している)「高貴な人」に重大な責任があると思われませんか?
このような話(単なる批判では無く、前向き解決を図る)を、「福山維新の会」会合(毎週日曜日午前10時~12時 福山市民参画センター)で、顔を突き合わせて(Face to Faceで)語りませんか?
枝葉末節なことを鬼の首を取ったように言い触らすのは、そろそろ止めて(空しい)、幹(vitalな話)を語りましょう。
福山の将来に夢も希望も無く、不平・不満を陰でブツブツ言い、奥さんに嫌われながら、ストレスの溜まる・不衛生・漫然たる生活をし、決定的なのは福山市の「巨大なつけ」を子や孫に回すことの何処に先人としての人間尊厳や存在価値・生き甲斐がある
のでしょうか。
ある人が言っていました、「皆さん、若者が高齢者に関して何を考え、何を言っているか知っていますか?無駄な税金を使わずに早くあの世に行って貰いたいと。」
今一度、福山行政及びノーブレス・オブリージュ等について真剣に考えてみる必要がありそうです。
リンカーン・米国元大統領の名言「人民の人民による人民のための政治」、言い換えますと、「福山市民の福山市民による福山市民のための政治」を樹立しましょう。
このためには、「落下傘市長の擁立」が必須です。
「小異を残して大同に付き」、大同団結しましょう。
これしか、福山を変える道・方法はありません。
(終り)