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 6/13は509日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。
さて、本日(6/14)は、「豊穣の人生を送られた精神科医・作家の「なだ
いなだ」氏(83歳で御逝去)に心からの賞賛を!!」→「自分(68歳)は同氏から何を学び、今後の我が人生をどのように送ったら良いのだろうか?」について、浅学菲才を顧みず述べてみます。
(1)まず、昨今の各種マスコミは、先日お亡くなりになった精神科医・作家の「なだいなだ」氏について、大々的に報道しております。詳細については、読者の皆さんの先刻、御承知の通りでありますので割愛させて頂くことと致しますが、小生は本報道の中から産経新聞(特に6/11付のP1「産経抄」欄等)の報道振りを拝借して、以下に紹介させて頂きます。すなわち、それは、
(ア)精神科医の「なだいなだ」氏(本名:堀内秀)の母方の曾祖父は、開業医だった。80歳を過ぎて、亡くなるその日の朝まで往診をしていたそうだ。「ぼくも、80歳まで生きるようだったら、この曾祖父のように、死ぬまで働いていることだろう」。40歳のころに語っている。
(イ)なださんは、その通りに83年の生涯を終えた。今月末には、フランスで講演を予定していた。亡くなった今月6日未明に更新されたブログには、会場で配るテキスト作りに苦労する様子がつづられている。
(ウ)母親の勧めで医学部(慶応大学)に入ったものの、「なるべく医者らしくない医者になろう」と、精神科を選んだ。アルコール依存症専門家の看板を掲げたのは、30歳を過ぎた頃からだ。国立療養所久里浜病院に作られた専門病棟の責任者になれば、留学させてやる。教授のこんなツルの一声で決まったという。
 (エ)当時すでに小説を書き始めていた。フランス人の奥さんとの間に生まれた4人の娘さんに語りかける「パパのおくりもの」など、ユーモア溢れるエッセーにもファンが多い。ラジオの「こども電話相談室」の相談人も、20年以上にわたって努めてきた。
 (オ)何足ものワラジをはき続けた、なださんの、最後の肩書きは、「老人党」の創設者だ。インターネット上に仮想の政党を立ち上げ、高齢者らに政治を語り合う場を提供し、自らコラムを書き続けた。「老人の意見を聞かないと勝てないぞ、となったとき、初めて国民のための政治が生まれるはずです」。「結党」の理由を小紙の取材に答えている。
 (カ)なださんの本名は堀内秀。よく知られているように、ペンネームの「なだいなだ」は、スペイン語で「何もない・と・何もない」という意味だ。ただし、その人生は正反対の、なんという豊穣さだろう。
 というものであります。                                                                       
(2)次に上記記事に関する小生コメント(「自分は同氏から何を学び、今後の我が人生をどのように送ったら良いのだろうか?」等)を以下に紹介させて頂きますと、
それは  
(ア)まずは、「なだ氏に対し衷心より感謝・尊敬の念を表させて頂きますとともに心より御冥福をお祈り申し上げます」。
    なだ氏が①80歳を過ぎても死ぬまで現役で、②「個益を超越して、真に国民のお役に立たれた」、③その広範多岐の御活躍・生き様、に深く感謝・尊敬申し上げますとともに、自分(68歳)が未だ、「はなたれ小僧」である旨を痛感している次第であります。なだ氏の御功績を遠くから賞賛するだけでは余りにも勿体無く、同氏に一歩でも近付ければと念願している昨今であります。 
(イ)次に、小生も少しは「人の役に立ちたい」。
    なだ氏を見習い、一歩でも近付きたい。では、果たして自分に何が出来、何を行なうべきか。小生にとって重要な課題・命題であります。
   結論から言いますと、小生は、①本業(公文教室の講師)をベースにしながらも、②福山に関する政治活動を行なうのが一番似合っているのではと思っております。
 (ウ)具体的には、改革派の市議会議員になり活動すること。
    上記「福山に関する政治活動を行なう」については、①現状の街頭演説・広報活動を継続しつつ、②3年後の市議会議員選挙において、幸いにして市民の支援・支持を得て当選できたら改革派議員として活動を行ないます。この際、①福山市民の「言論の自由」奪回(逆差別、左寄り政策の打破等による)、②「福山を日本1の街」にする、を柱とした活動を行なうつもりであります。この際・これが為(当選及び政策実行)には、市民の意識の刷新と政治への関心増大が根本・決めてであり、同意識の啓蒙・啓発に尽力する所存であります。市民の①名誉、プライド、誇りの奪回、②正義心の高揚、③自信の奪回が福山改革(落下傘市長及び多数の改革派市議会議員の擁立を通じて)の要であると信じています。
  というものであります。(以上です)

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