03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「親愛なる」全国の読者の皆様へ!!
H。 27. 7. 26
「福山維新の会」代表 石岡久彌
(1)本日のテーマ:「新国立競技場の建設計画の白紙撤回問題ーー無責任の塊」
(2)本日のサブ・テーマ:「忘れられた言葉「卑怯者(ひきょうもの)」の復活こそが、次の新たな同競技場建設の鍵となるのでは?」
(3)御挨拶:全国の読者の皆様、お早うございます。「福山維新の会」は、昨日、1249日目としての「福山維新の会」街頭演説・広報活動(新「チラシ」配布作戦は55日目)を行ないました。皆様方からは引き続き、①「福山維新の会」FB記事、②「石岡久彌」FB記事に対する「いいね」「コメント」「激励」等を沢山賜りまして、本当に有難う御座います。今後とも「何卒」宜しく御願い申し上げます。ところで、皆様が先刻御承知の通り、オリンピック用の新国立競技場の建設計画白紙撤回問題(無責任の塊)が連日大々的にマスコミにより報道されており、国民の関心の高さを表しております。このような中、私は先日、某男性による産経新聞への投稿記事において、「忘れられた言葉「卑怯者(ひきょうもの)」旨のタイトル記事を目にしましたところ、この記事は将に、次の新たな同競技場建設を考え実行する上で極めて重要な鍵になるものと考えます。つきましては下記の小生記事を皆様に御紹介させて頂きますので、「チョット」だけでもお読み頂けましたら幸甚であります。
(4)本論
(ア)某男性による産経新聞への投稿記事について
元会社社長(横浜市戸塚区在住)の伊藤高昭氏(88歳)が7/22付の産経新聞「談話室」に「忘れられた言葉「卑怯者」」旨のタイトル記事を投稿されておりますところ、その全容は下記の通りであります。
(a)昔はよく使われたが、今はほとんど使われなくなった言葉に、「卑怯(ひきょう)」や「卑怯者」というのがある、子供の頃、弱い者いじめや陰口をたたくことは、男のすることではないとされた。弱い者をいじめる子供は、「卑怯者」とさげすまれた。「卑怯」と言われることは、最高の屈辱だったのだ。
(b)私たちが楽しんだ講談本に登場するのは、武芸に通じたつわものばかり。正々堂々と戦う者を真の勇者だと信じ、卑怯な振る舞いは醜いことだと教わった。最近は、児童、生徒の中には、仲間を複数の人間でいじめる「卑怯者」が後を絶たない。昭和一桁生まれの私は、情けない時代になったと思ってしまう。
(c)日本の武士道の精神が消えつつある。子供の世界だけでなく、大人の世界でも言い逃れや、責任転嫁などをする「卑怯者」が目につく。卑怯な行為に対する蔑視の念をもう一度復活させてはどうだろうか。
(イ)小生コメント(「忘れられた言葉「卑怯者(ひきょうもの)」の復活こそが、次の新たな同競技場建設の鍵となろう」)
(a)上記の伊藤高昭氏による投稿記事の中で、「大人の世界でも言い逃れや、責任転嫁などをする「卑怯者」が目につく」旨の文章が、今般の新国立競技場の建設計画白紙撤回問題(無責任の塊)を反省し、そして次の新たな同競技場建設を実行する上で鍵になると考える次第であります。
(b)作家の曽野綾子さんは、同じく7/22付の産経新聞p17「新国立競技場の計画撤回」と題した記事の中で、①審査委員長の安藤忠雄氏(建築家)や、②文部科学省の官僚達の「金銭感覚の病理」(換言すれば、無責任、すなわち、卑怯さ)を述べておられます。これに追加して私は、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森・元総理の各種発言(組織委員会には責任は無く、逆に、迷惑している等)には極めて多大な違和感・失望感を禁じ得ません。
(c)安倍総理の白紙撤回表明を受け、政府は先日21日、関係閣僚の 初会合を開き、議長には遠藤五輪相、脇を固めたのは菅官房長官や麻生財務相ら政権の中枢達でありました。更に政府はJSC(日本スポーツ振興センター)を所管する文部科学省を見限り、国土交通省に主導権を渡しました。そこで政府は、今後、関係者・団体・組織等の職務権限・責任を明確にし、再発防止に万全を期して貰いたい。
(d)もう一方で、政府は、今回の建設計画の失敗を踏まえ、「権利」と「義務」のバランスの重要性について、広く国民一般の意識啓蒙を図る必要があろうと考えます。
(5)あとがき
上記の通り、今回の記事においては「忘れられた言葉「卑怯者(ひき
ょうもの)」の復活」の重要性を前面に打ち出し、論を展開して来まし
たが、この言葉は我が「福山維新の会」の理念であります「真善美」の
追及と同一のものであります。他方で、古くて新しい「仏を造って魂を
入れず」の名言を再認識させてくれたのが、今回の「新国立競技場の建
設計画の白紙撤回問題(無責任の塊)でありました。ところで東京五輪
まで、余すところ5年となりました。我が日本は「おもてなし」の精神
を十二分に発揮して、世界の信頼を裏切ることがなきよう新国立競技場
を含め準備万端を期さねばならないと思料致します。
長文の駄文を最後までお読み頂き深謝申し上げます。
以上です。