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 7/19は545日目としての広報活動を行ないました。さて、本日(7/20)は、「安倍首相肝入りの教育再生」→「現実は道徳教科化を悩む現場」→「その一例が、電車内で座席を占領して騒ぐ生徒を放置し、乗客に注意されると幼稚な理論を振りかざす教師」→「日本社会全体で生徒を指導・教育すべし」について、述べてみます。
(1)まず、7/16付の産経新聞はP9の「談話室」欄に、「絶好の教育の機会逃した先生」と題した記事(NPO職員 小野修司 50)を掲載しておりますところ、以下に紹介させて頂きます。すなわち小野修司氏は、
(ア)7/3日付の産経新聞「談話室」の「電車内で指導をしない先生」に   
  は驚いた。遠足の引率をしていた中学校の先生が、電車内の座席を占領して騒ぐ生徒らを放置し、乗客に注意されると「中学生が座ってはいけないという規則はない」と答えたという。
(イ)この先生はなんともったいないことをしたのか。校外は、普段できない社会勉強をする場であり、先生自身も校内で見せるのとは違う別の一面を生徒に見せられる絶好の機会。とりわけ電車内のような場所は、先生が社会人としてどのように振舞うか、生徒らは注目していた筈であり、社会人としての手本を示すこともできた。
(ウ)そんな機会に露呈した先生の人間性の軽さ。「そんな規則はない」という幼稚な論理を振りかざすようでは情けない。多感な中学生を指導する立場の先生は、「こんな社会人になって欲しい」という願いを持ち、あるべき姿を示しながら、生徒と接して欲しい。
旨述べておられます。
(2)次に7/11付の産経新聞はP29の「くらしの現場から 2013参院選」欄に、「安倍首相肝入りの教育再生」「道徳教科化を悩む現場」と題した記事を掲載しておりますところ、以下に小生の関心事を紹介させて頂きますと、
(ア)安倍首相は、経済再生とともに教育再生を最重要テーマに掲げる。そして安倍内閣の肝いりで今年2月、政府の教育再生実行会議が打ち出したのが道徳の「教科化」だ。
(イ)戦前の日本には修身科という「教科」があった。教科書もあり、忠義や勇気、勤勉、誠実などの大切さを教える内容だったが、戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)から「軍国主義教育」とみなされ廃止された。今の道徳は学習指導要領で、子供の発達に応じて生活習慣や思いやり、生命の尊重、伝統と文化を大切にする心などを学ぶとされる。
(ウ)小中学校には年間35時間の道徳の授業枠が設定されているが、現場の教師たちからは「時間相当分の指導案を作る時間が無い」という泣き言も聞かれる。子供のトラブルや保護者の対応で多忙を極め、授業の準備が後回しになるという。そもそも道徳教育のあるべき姿とはどういうものなのか。現場の悩みは深い。
  というものであります。
(3)次に上記投稿記事に関する小生及び福山維新の会代表のコメントを以下に紹介させて頂きますと、それは  
 (ア)生徒の道徳心欠如は、日本一億国民の無責任・無関心・刹那主義の縮図か?
   7/18付の毎日新聞は第1面に「広島死体遺棄 少女の友人ら6人逮捕」の見出しで、痛ましく悲惨な事件を報道しています。一方で、今月10日、名古屋市の市立中学2年の男子生徒がマンションから飛び降りて命を絶ち、その背景に「死ねと言われた」「暴力を受けていた」があったとも報じられています。これらを含め、上記「電車内で座席を占領して騒ぐ生徒」等の道徳心欠如は、他方で、警察官による度重なる不祥事の発生をも併せ鑑みた際、日本一億国民の無責任・無関心・刹那主義の縮図であり誠に嘆かわしいことだと思われます。そして学校教育(社会人教育を含む)関する「安倍首相肝入りの教育再生」の重要性・迅速性を痛感させます。
(イ)生徒の道徳心を取り戻すためには、大人がまず手本を示しつつ、「日本社会全体で生徒を指導・教育すべし」
  では、如何にしたら生徒の道徳心を取り戻せるのかを考えてみました。
その答えは、①学校教育の責任を重大としながらも、②大人が各種の場面でまず「手本」を示しつつ、「日本社会全体で生徒を指導・教育すべき」にあると思われます。政府(文科省が中心)が道徳教育充実のための施策を積極・活発に行なうのは当然としながらも、学校・行政・地域・保護者等が一体となって、他力本願を排し「自助努力」することが肝用と思料されます。そして本指導・教育の原点は家庭・親にあり、子供に対する「アメとムチ」の使い分けが重要と思われます。ちなみに、我が公文教室でも子供の躾の不十分さが散見されます。例えば、①宿題を提出時に先生へ投げ渡す子供、②割り込んで教えを受けに来る子供、③教室内で大声を発し、騒ぎまわる子供等、数は少ないですが、そんな子供も存在します。手前味噌で恐縮ですが、妻は厳しい指導・教育で知れ亘り、他方、保護者の支持を得て、もって我が教室の秩序は保たれております。微々たるものですが、少しは社会に貢献できているのではなかろうかと思っております。
というものであります(以上です)。
 

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