真善美 を強く求める
多くの善良な福山市民のために活動しませんか
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7/28は554日目としての広報・街頭演説活動を行ないました。さて、本日(7/29)は、「言論・報道の自由を守る決意の与良・毎日新聞論説委員」→「他方、福山地区のマスコミは、行政を怖がって萎縮し、もって使命である報道・言論の自由を自ら放棄しているのでは?」→「そしてこのことが、福山市民の「言論の自由」剥奪に繋がっているのではないか?」について述べます。
(1)まず、7/25付の毎日新聞はP23の「熱血!与良政談」欄に、「言論の自由守るために」と題した記事(論説委員 与良正男)を掲載しておりますところ、以下に紹介させて頂きます。すなわち与良正男氏は、
(ア)自民党が圧勝した参院選。実は結果がどうなるかという前に、選挙戦の最中からずっと考えていたのは、これからの政治報道はますます、「しんどくなるなあ」ということだった。象徴的だったのは自民党がTBSに対し「報道が公正さを欠く」と抗議し、党幹部への取材や幹部の番組出演を一時拒否した一件だ。数日間で収拾したが、今後こうした「メディア制限」は増えそうな気がするのだ。
(イ)TBSの報道は先の国会会期末、与野党の駆引きの揚げ句に電気事業法改正案が廃案になったニュースを報じる際、改正案成立に期待していた財団関係者が「与党がもしかしたら法案を通す気がなかったのかも。非常に残念です」と録画でコメントしたというものだ。
(ウ)言論には言論で応じるべきで、報道が気に入らないといって政権側が取材拒否や出演拒否に出るのはまったく行き過ぎである。ただ一方で報道の脇が甘かったと私が感じたのも確かだ。自民党に廃案の責任があるというのなら第3者が印象論を語るのではなく、記者自らが事実を積み重ねて報じるべきだったと思う。
(エ)元来政治権力は都合の悪い報道を封じたがるものだ。私が政治記者になった20数年前は「でも権力をチェックして批判するのが君らの仕事だからなあ」と懐の深さを見せてくれる政治家が多かったが今や少数。
(オ)民主党政権時代にも政権に批判的な報道があると「国会におたくの社長を呼んで問題にするぞ」と脅かす閣僚もいたのだ。政治権力側がメディアをより好みして選別する時代に入りつつあるといっていい。
(カ)私たちが覚悟しなくてはならないのはそこだ。面倒なことになるから批判はおっくうになり、メディアが萎縮していくーーー。そうならないためには、とりわけ批判するに際して従来以上に客観性と論理性を持たないといけないと思う。
(キ)もっと深刻なのは、政治家だけでなく自分の気に入らない意見には一切耳を傾けず、排除する風潮が社会全体に広がり始めていることだ。「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉がある。これが民主主義の原則だと私は信じてきた。この原則を守るため一層体を張っていかなくてはならないと決意している。
と述べておられます。
(2)次に上記投稿記事に関する小生及び福山維新の会代表のコメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)「上記の与良・毎日新聞論説委員の御意見に対して小生は、「総論賛成、各論反対」である」について。
与良氏の主張されるように、マスコミの言論自由が確保されることは民主主義社会において極めて重要である点は全く同意であり、論をまちません。さはさりながら、マスコミが何でも良いから言いたいことを言っても良いというものではないと思います。すなわち、正論(国益)を度外視して、国民個人の権利・利益を余りにも追求した感情的・情緒的・刹那的言論は片寄り過ぎと思料されます。
(イ)「福山地区のマスコミは、行政を怖がって萎縮し、もって使命である市民の側に立った「報道・言論の自由を自ら放棄」しているのでは?」について
そもそも小生が、上記記事に関心を抱き、本件コメントを書こうと考えたその背景には、福山地区のマスコミの片寄った報道振りが目に付くからであります。すなわち、同マスコミは、市行政の提供する情報のイージーな伝達者ではないか(与良氏の説く①記者自らが事実を積み重ねて報じるべき、②客観性と論理性も持つべき、が不足している)と感じられたからであります。換言すれば、マスコミの使命として「良き福山を作ることに貢献しよう」という高邁で情熱のこもった報道振りは多くはないのではと感じられました。これではマスコミは単に商売だけを追及しているのかと疑義を持たれかねないと思われます。そして小生が同マスコミに対し「「単なる伝達」ではとの感を強めたのが、先日の某福山市民(有識者で実力者と言われている人)のコメントでした。同市民は小生のマスコミ疑念に対して、「羽田市長は以前、離任の挨拶に来た某新聞社の支社長に対して「顔を見たくない。帰れ」と怒鳴ったことがある旨の情報を提供されました。
(ウ)「そしてこのことが、福山市民の「言論の自由」剥奪に繋がっているのではないか?」について
上記の通り、マスコミが行政を怖がって萎縮し、もって市民の側に立った報道・言論(「福山市のあるべき姿」を原点とした見解等)が多くないことが、結果として、①市民の政治関心度を低下させ、②福山市民の「言論の自由」剥奪に繋がっているのではないかと思料されます。そこで、我が福山維新の会としては、街頭演説により、引き続き市民に対して、福山政治の酷さの実態及び福山市のあるべき姿(癒着を排した公正・健全・明るい福山市)を訴えることが重要と考え、実行している現状であります。そしてこの一環として「市民の皆さん、福山政治の酷さ・恥ずかしさを排除・駆逐しつつ、「お宝」を生かして「日本一の福山」を創造しませんか!!」旨のタイトルで演説しております。
というものであります。(終り)
(1)まず、7/25付の毎日新聞はP23の「熱血!与良政談」欄に、「言論の自由守るために」と題した記事(論説委員 与良正男)を掲載しておりますところ、以下に紹介させて頂きます。すなわち与良正男氏は、
(ア)自民党が圧勝した参院選。実は結果がどうなるかという前に、選挙戦の最中からずっと考えていたのは、これからの政治報道はますます、「しんどくなるなあ」ということだった。象徴的だったのは自民党がTBSに対し「報道が公正さを欠く」と抗議し、党幹部への取材や幹部の番組出演を一時拒否した一件だ。数日間で収拾したが、今後こうした「メディア制限」は増えそうな気がするのだ。
(イ)TBSの報道は先の国会会期末、与野党の駆引きの揚げ句に電気事業法改正案が廃案になったニュースを報じる際、改正案成立に期待していた財団関係者が「与党がもしかしたら法案を通す気がなかったのかも。非常に残念です」と録画でコメントしたというものだ。
(ウ)言論には言論で応じるべきで、報道が気に入らないといって政権側が取材拒否や出演拒否に出るのはまったく行き過ぎである。ただ一方で報道の脇が甘かったと私が感じたのも確かだ。自民党に廃案の責任があるというのなら第3者が印象論を語るのではなく、記者自らが事実を積み重ねて報じるべきだったと思う。
(エ)元来政治権力は都合の悪い報道を封じたがるものだ。私が政治記者になった20数年前は「でも権力をチェックして批判するのが君らの仕事だからなあ」と懐の深さを見せてくれる政治家が多かったが今や少数。
(オ)民主党政権時代にも政権に批判的な報道があると「国会におたくの社長を呼んで問題にするぞ」と脅かす閣僚もいたのだ。政治権力側がメディアをより好みして選別する時代に入りつつあるといっていい。
(カ)私たちが覚悟しなくてはならないのはそこだ。面倒なことになるから批判はおっくうになり、メディアが萎縮していくーーー。そうならないためには、とりわけ批判するに際して従来以上に客観性と論理性を持たないといけないと思う。
(キ)もっと深刻なのは、政治家だけでなく自分の気に入らない意見には一切耳を傾けず、排除する風潮が社会全体に広がり始めていることだ。「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉がある。これが民主主義の原則だと私は信じてきた。この原則を守るため一層体を張っていかなくてはならないと決意している。
と述べておられます。
(2)次に上記投稿記事に関する小生及び福山維新の会代表のコメントを以下に紹介させて頂きますと、それは
(ア)「上記の与良・毎日新聞論説委員の御意見に対して小生は、「総論賛成、各論反対」である」について。
与良氏の主張されるように、マスコミの言論自由が確保されることは民主主義社会において極めて重要である点は全く同意であり、論をまちません。さはさりながら、マスコミが何でも良いから言いたいことを言っても良いというものではないと思います。すなわち、正論(国益)を度外視して、国民個人の権利・利益を余りにも追求した感情的・情緒的・刹那的言論は片寄り過ぎと思料されます。
(イ)「福山地区のマスコミは、行政を怖がって萎縮し、もって使命である市民の側に立った「報道・言論の自由を自ら放棄」しているのでは?」について
そもそも小生が、上記記事に関心を抱き、本件コメントを書こうと考えたその背景には、福山地区のマスコミの片寄った報道振りが目に付くからであります。すなわち、同マスコミは、市行政の提供する情報のイージーな伝達者ではないか(与良氏の説く①記者自らが事実を積み重ねて報じるべき、②客観性と論理性も持つべき、が不足している)と感じられたからであります。換言すれば、マスコミの使命として「良き福山を作ることに貢献しよう」という高邁で情熱のこもった報道振りは多くはないのではと感じられました。これではマスコミは単に商売だけを追及しているのかと疑義を持たれかねないと思われます。そして小生が同マスコミに対し「「単なる伝達」ではとの感を強めたのが、先日の某福山市民(有識者で実力者と言われている人)のコメントでした。同市民は小生のマスコミ疑念に対して、「羽田市長は以前、離任の挨拶に来た某新聞社の支社長に対して「顔を見たくない。帰れ」と怒鳴ったことがある旨の情報を提供されました。
(ウ)「そしてこのことが、福山市民の「言論の自由」剥奪に繋がっているのではないか?」について
上記の通り、マスコミが行政を怖がって萎縮し、もって市民の側に立った報道・言論(「福山市のあるべき姿」を原点とした見解等)が多くないことが、結果として、①市民の政治関心度を低下させ、②福山市民の「言論の自由」剥奪に繋がっているのではないかと思料されます。そこで、我が福山維新の会としては、街頭演説により、引き続き市民に対して、福山政治の酷さの実態及び福山市のあるべき姿(癒着を排した公正・健全・明るい福山市)を訴えることが重要と考え、実行している現状であります。そしてこの一環として「市民の皆さん、福山政治の酷さ・恥ずかしさを排除・駆逐しつつ、「お宝」を生かして「日本一の福山」を創造しませんか!!」旨のタイトルで演説しております。
というものであります。(終り)
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